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白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

「えんとつ山」を絆に
−産業遺産を活かした「ふるさと再生」−

えんとつ山倶楽部会長 白鳥 正夫

 「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川…」。誰しも口ずさんできた「故郷」の歌は郷愁を駆り立てる。そんな故郷の山に私が生まれ育った頃から赤レンガの煙突が一本そそり立っている。私たちは「煙突山」と呼び親しんできた。その煙突を絆に「ふるさと再生」の機運が起こっている。遠きにありて故郷を思う私にとって、何かお役にたてればと願っている。

 その煙突は世界的な銅の産出量で300年の歴史を誇った別子鉱山の関連施設だった。「住友」グループ発展の礎となった鉱山は閉山され、煙突設立120周年の昨秋、周辺地を含め所有する住友林業が新居浜市との間で別の市有地と等価交換した。新居浜市では別子銅山産業遺産として保存活用を図る方針だ。それに伴い、この煙突を市のシンボルとして全国発信しようという市民活動も始まった。

 別子銅山は江戸時代から棹銅を大量に産出して長崎貿易を支え、明治時代に西洋の最新技術を導入し、世界的な規模で発展した。この急速な産業革命をもたらせた鉱山だったが、産出量の低下で1973年に閉山された。

 かつての栄華の名残ともいうべき遺跡が、別子山上から瀬戸内海まで奥行き20キロの市域と、四阪島の200ヵ所に 斜坑や通洞跡、精錬所や水力発電所、索道基地跡などが散在する。

 その一つでもある煙突は別子山中で行っていた精錬事業を山根地区に移転し、生子山頂に約18メートルの高さで建設された。1888年に稼動したものの煙突からでる亜硫酸ガスが付近の農作物に被害をもらせたため1895年に閉鎖された。しかし煙突だけが残った。幼い頃、朝に夕に見慣れた煙の出ない煙突は、大学以来、新居浜を離れた私にとって故郷の情景に溶け込んでいる。

  いま新居浜市では、世界遺産に登録された石見銀山に続けと、 「近代化産業ロマンの息づくまちづくり」を政策課題に掲げ、その歴史を生かし、世界に誇れる「近代化産業遺産の保存及び活用のモデル都市」への取り組みを進めている。煙突と周辺地の保存もその一環だ。

  こうした動きに呼応し、市民有志が昨年8月「えんとつラボ」を結成し、山を憩いの場として整備するとともに、市民参加型のイベントなどの企画運営に乗り出した。目下、「えんとつ山テーマソング」を作り、発表会などを予定している。さらに故郷を離れて暮らす同郷の人達にも呼びかけ、年頭には「えんとつ山倶楽部」を設立し、全国への情報発信拠点としてホームページも開設した。

  別子鉱山では採掘場所が深くなったり、排水処理に困ったりの苦難を乗り越えるために、より近代化が進んできた歴史があり、日本の近代化の縮図ともいえ、モノづくりの原点となってきた。 わが故郷は産業基盤を失ったものの、化学や重機械などの産業が息づき、なお四国有数の工業都市である。

  故郷を離れて暮らす私にとって、先人たちが築いた産業遺産は誇りであり、新たな時代に 活かす町づくりを望みたい。「世界遺産登録」を目的としてではなく、市民ぐるみの新たな町づくりの手段として地道に継続的に「ふるさと再生」を探ってほしい。そうすれば、ともすれば見失いがちな市民や同郷の者にとっても、絆が深まり「ふるさと再見」を駆り立てることだろう。 私もその一助をと念じている。
白鳥 正夫(しらとり まさお)略歴

ジャーナリスト、朝日新聞社元企画委員
民族藝術学会会員
社団法人日本中国水墨画交流協会参与
新居浜文化協会顧問

1944年、愛媛県新居浜市生まれ。
中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。

広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」の中心的役割を担う。

著書に『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『アートの舞台裏』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)などがある。編著書に「ヒロシマ21世紀へのメッセージ」「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」(いずれも朝日新聞社)など多数。