白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考
◇戒律社会、イランの課題 | |
革命によって宗教が政治を支配する国となったイランでは女性はチャドル姿となり飲酒ご法度、快楽・世俗主義を排している。あの『千夜一夜物語』の舞台は、文字通り夢の世界となった。しかし「人は抑圧されればされるほど、独創的な手段で意思を表明しようとするものだ」とは、2005年にヒロシマ賞に選ばれたイラン女性芸術家のシーリーン・ネシャートさんの言葉だ。 |
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戒律の国ならではチャドル姿の女性たち イランの子供たちと筆者 |
◇イマーム・ホメイニー廟 | |
イラン革命といえばホメイニー師の顔が思い浮かぶ。帰国前日にテヘラン郊外にある廟を訪ねた。地下鉄の最南端駅を降りると、ホメイニー師が眠る霊廟が見えてくる。廟は大きく建設途中だったが、正月とあって初詣での様に参拝者が詰めかけていた。男女別の入口を入ると一面に絨毯が敷き詰められている。奥まった大広間に格子戸で囲まれた一角に写真額が置かれた棺が安置されていた。
現地の紙幣にも使われているホメイニー師は政府批判を続け、国外追放処分を受けフランスに亡命するが、国外からも国王への抵抗を呼びかけ続けた。1979年に反体制運動の高まりで国王が亡命したのを受けて、15年ぶりに帰国を果たし、イラン・イスラム共和国の樹立を宣言し任期4年制の大統領の上に立つ最高指導者となった。1989年に86歳で他界したが、最期の言葉は「灯りを消してくれ。私はもう眠い」であったという。
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イランのカッパドキア、キャンドヴァン村 写真額が置かれたホメイニー師の棺 |
◇米大使館はいま | |
革命の1979年に米国大使館占拠人質事件があったことは、記憶に生々しい。アメリカが元国王を受け入れたことに、イスラム法学校の学生らが反発し、大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備員とその家族らを人質にした事件で、アメリカの救出作戦の失敗などを経て、イランは仲介国の働きかけなどでレーガン大統領の就任日に、444日ぶりに人質は解放された。 |
◇ぺルセポリス | |
ぺルセポリスは今回の旅のハイライトであった。地中海世界からインドに至る広大な領土を支配したアケメネス朝ペルシャの都で、紀元前6世紀後半にダレイオス1世が建設した宮殿群だ。紀元前331年、アレクサンドロス大王に攻め落とされ廃墟となった。古代オリエント文明を代表する遺跡で1979年に世界遺産に登録されている。
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ペルセポリスの「万国の門」 |
世界遺産のイスファンのイマーム広場 鳥葬が営まれていたヤズドの沈黙の塔 |
◇新年「ノウルーズ」 | |
「ノウルーズ」とは「新しい日」との訳で、イランでは太陽が春分点を通過する時刻を新年とし、今年は3月20日午後3時13分に迎えた。私たちがテヘラン行き国内便の出発を待つタブリーズ空港でカウントダウンが始まり拍手に包まれた。イスラム化する以前からの年中行事で街中は祝賀気分にあふれた。
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「ノウルーズ」で飾られた新年用の縁起物 |
テヘラン都心から雪山を望む アーチが美しいスィー・オ・セ橋のライトアップ |
今春、イスラム革命から30年を迎えたイランを実質10日間訪ねた。朝日新聞社の整理部に籍を置いていた当時、連日のように革命前後のニュースを追い、その変化を報じる見出しを付けた思い出がよぎる。革命の翌年には8年間に及ぶイラクとの戦争に突入した。イラクに加担したアメリカはそのフセイン政権を崩壊させるなど激動の中東にあって、はるか7000年前から悠久のペルシャ文明の歴史を刻んできたイランへの旅は好奇心を掻き立てた。ブッシュ前米大統領によって「悪の枢軸」とか「中東の火薬庫」とレッテルを貼られたイランだが、実際に訪れてみると大方の日本人の先入観を覆すものだった。その印象記を綴ってみた。 |