白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

地中海クルーズ、聖家族教会を再訪
文化ジャーナリスト  白鳥 正夫

 故郷の皆さま、新年明けましておめでとうございます。不透明な国際情勢が続いていますが、夜明けを告げる鶏年ですから、平和と幸福に向けた新しい秩序が待たれます。

 私が顧問をしている新居浜文化協会の新年会が1月13日に催されましたので、帰郷しました。駅前にあかがねミュージアムがオープンし、立ち寄る楽しみも増えました。その主要施設の新居浜市美術館で28日から3月26日まで「ふるさとスケッチ 篠原信二展」が開催されます。《煙突山》など新居浜の風景を描いた作品約80点が展示されます。観覧料は無料ですので、多くの人に足を運んでほしいものです。

 篠原さんは1938年に市内角野町(現中筋町)に生まれ、59年からセーラー工芸社で広告や看板の制作を手がけ、定年後は得意な筆で水彩画を描いたのでした。2003年に逝去し、今回は本格的な回顧展です。《煙突山》も毎年のように描き、その変化を見ることができます。《山根公園》(1999年)や《瑞応寺》(2000年)、《生子橋》(2000年)、そして《JR新居浜駅》(2003年)など、往時の風景を懐かしみながら鑑賞してはいかがでしょうか。

 今回帰郷時に篠原さんの奥さん・ヨシ子さん(75歳)に関する話題を聞けましたので併せて紹介します。ドイツのモンブラン社が昨年3月、東日本大震災に耐えた陸前高田市の「奇跡の一本松」の枝を使った万年筆のチャリティーオークションを行い、ヨシ子さんが92万6千円で落札したそうです。落札額は陸前高田市に寄付され、万年筆は、今回の主人の作品展に合わせ特別出品されます。ヨシ子さんは、これを機に万年筆を美術館に寄贈したい意向です。

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 冒頭に篠原さんの回顧展の話題を記しましたが、篠原さんご夫妻のように、足元の日常を大切にし、社会に役立つ生き方に感銘を受けます。私も旅や文化活動で知りえた情報を今年も精一杯伝えたいと思います。新年最初の新着情報は、昨年暮れに思い立って出向いた地中海クルーズについてお伝えします。


■「ふるさとスケッチ 篠原信二展」チラシ

■《煙突山》(1998年)

■篠原信二さん(1938-2003)
300年の工期を半減し2026年完成ガウディも驚くであろう建築技術の進化

 クルーズと言ってもわずか3泊4日の短期ステイに過ぎませんが、スペインのバルセロナ、フランスのマルセイユ、イタリアのジェノバの3カ国3都市を巡るツアーでした。とりわけバルセロナにはホテルで一泊し、地中海が生んだ天才建築家のアントニオ・ガウディが設計し、没後も建築が続いている聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の観光が組み込まれていました。約10年ぶりの再訪ですが、近年急ピッチで工事が進められ、2026年にも完成との見通しが発表されていて、その進捗状況を見たかったのです。

 サグラダ・ファミリアを巡る話題を中心に、マルセイユとジェノバの街歩き、さらには初めてのクルーズ体験をリポートします。ツアーは関西空港からドバイ空港経由で、バルセロナへ。乗り継ぎ時間を加えると約20時間もかかりました。

 お目当てのサグラダ・ファミリアは、民間カトリック団体であるサン・ホセ教会が、個人の寄付に依る贖罪(しょくざい)教会として計画し、初代の建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けたのでした。1882年に着工したものの意見の対立から翌年に辞任。その後を引き継いだのがガウディで、1852年にカタルーニャ地方に生まれ、31歳当時は無名でした。

 ガウディは設計を一から練り直し、大型模型や、紐と錘(おもり)を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされ、1926年に73歳の時に市電にはねられ死去するまで建築に取り組みました。しかし仔細な設計図を残しておらず、弟子たちが作成した資料なども大部分が内戦で消失しました。わずかな資料を手がかりに後を継いだ建築家たちがガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われ、9代目の設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年に当たる2026年に完成をめざしています。現地には大きなクレーンが据えられ、敷地内の工事も急ピッチで進められていました。

 約1万7000平方メートルの敷地に建つ聖堂は、三つのファサード(建物正面)と、鐘塔を持つ類例の無い教会建築です。イエスの生誕を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードや内陣、入り口から主祭壇に向う身廊などはほぼ完成したが、イエスの栄光を表すメインファサード、イエス・キリストと聖母マリア、12使徒などを象徴する18本建てられる内の塔の8本が未完成です。

 これらの建築群のうち、生前のガウディが実現できた地下聖堂と生誕のファサードが2005年にユネスコの世界遺産に登録されています。その2年後の2007年11月、私が初めて現地を訪れました。この時は生誕のファサードから聖堂内へ入り、時間をかけて内部を見学しました。まるで巨大な生き物の胎内を覗くような感じでした。高くそびえる柱や内装のデザインも見事。全てではありませんが、ステンドグラスの入った窓の美しさは格別でした。石で作られた巻貝の螺旋階段もすばらしかったのを覚えています。信者しか入れない聖域の地下礼拝堂にガウディは埋葬されているといいます。

 今回はエレベーターで塔に登りたかったのですが、待ち時間が長いため、周囲をぐるりと回り、外観の写真を撮ることに時間をかけました。生誕のファサードにはキリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されており、双眼鏡を片手に眺めました。「聖母マリアの戴冠」などをカメラに収め、受難のファサードに回りました。ここでは「イエスの最後の晩餐」から「キリストの磔刑」、「キリストの昇天」までの有名な場面が彫刻されていました。

 最後にこの壮大な教会が着工した年の「1882」の数字が施された彫刻を見ましたが、当時は300年かかるであろうと想定さていたのです。ところが3DソフトウエアやCNC(コンピュータ数値制御)加工機が使えるようになったことや、多額の入場料収入や寄付金の支えがあって、工期が半減し150年以上短縮されたのです。 ただ現代技術を駆使して完成するサグラダ・ファミリアは厳密に見れば、ガウディ作品とは言いがたいと思われます。完成を見届けられないかもしれない世紀の巨大建築の威容とガウディの偉大さを心に印し、サグラダ・ファミリアを後にしました。


■サグラダ・ファミリアの近景

■生誕を表す東ファサード

■受難のファサード

■急ピッチで進められる工事現場

■着工した年の「1982」の数字が刻まれた記念の彫刻
マルセイユ一望の高台に黄金の聖母子像中世貴族の大邸宅の名残、ジェノバ街路

 バルセロナに一泊した午後、大型客船「MSCスプレンディダ号」に乗船しました。テロ対策もあって乗船は厳重だ。荷物の安全審査は当然として、一人一人の顔写真を撮影し、コンピュータ管理され、寄港地の上下船でもチェックされます。船内のことは最後に触れることにして、いよいよクルーズのスタートです。夕刻6時に出航。翌朝にマルセイユに入港しました。

 午前中は市内観光にあて、マルセイユ市街を一望できる標高 約150メートルの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂を訪れました。ニーム出身のマルセイユの建築家エスペランデュー(1829-1874) が設計し、1853年に定礎され、1864年に献堂されたのです。

 聖堂はそれほどの大きな面積ではありませんが、高さ41メートルの鐘楼があり、その上に高さ12.5mの塔を土台として、高さ11.2メートルの巨大な黄金の聖母子像が据えられています。マリア様は銅製ですが、金箔が貼られ黄金色に輝いています。市内や海の上からも仰ぎ見られる聖堂は、港町マルセイユのシンボル的存在となっているのです。

 ロマネスク・ビザンチン様式の聖堂内は、白とえんじ色の大理石を使った縞模様をなす柱やアーチが並び、美しいモザイク画が壁面や天井を埋め尽くす壮麗さです。祭壇には銀色のマリア像が祀られ、後陣の半円蓋に施された煌びやかなモザイクは、金地に植物と32羽の鳥で楽園を表しているといいます。

 この聖堂の特色は、数多くの船の模型や絵画が納められ、天井からはいくつもの船の模型が吊り下げられ、壁一面には大小さまざまな船の絵が架けられています。いわば船乗りたちの為の神聖な寺院なのです。テラスからの眺めが最高で、360度のパノラマ展望で、眼下の市街の先には地中海と遠くには山並みが続いていました。


■標高約150メートルの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂

■美しいモザイク画で飾られた天井

■テラスからの眺めた市街と地中海

 この日は夕刻5時、マルセイユを出港しました。ジェノバ港に到着後、午前中は観光に出向きました。ここはイタリア北西部にある港湾都市で、中世には海洋国家(ジェノヴァ共和国)として栄え、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持っています。現代においてもミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つイタリア最大の貿易港であり、地中海有数のコンテナ取扱高を誇っています。

 16世紀に総督ドリアのもと、スペインと同盟を結び、欧州カトリック世界のメイン銀行となって金融業で繁栄したジェノヴァ共和国には、世界から訪れる来賓用迎賓館の必要性から、17世紀初頭にかけて、富裕貴族層が住む豪華な館・大邸宅を厳選し、「ロッリ」と呼ばれるリストに登録させて、国家の来賓の宿泊先として法で制定していました。

 これらの大邸宅群は建築的にも価値あるものが多く、通り沿いは美しいルネッサンスやバロック様式の館が建つ有力諸貴族の豪奢な大邸宅地となったのです。その名残である「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ」は、「新しい街路群」の意味で、2006年に、世界遺産に登録されています。

 ドーリア・トゥルシ館は現在市庁舎です。1564年から79年に建設された建物で、柱廊と回廊を持つ長方形の中庭が美しいです。内部の天井にはフレスコ画が描かれ、中央にクリスタルのシャンデリアが煌いています。ロッソ館(赤の館)とビアンコ館(白の館)などもあり、街歩きを楽しめます。

 この地はアメリカ大陸発見の偉業を成し遂げたコロンブスの出身地という説が有力で、旧市街の一角に、コロンブスの生家があったとされる場所に、18世紀に復元された建物もあった。歴史が息づく街の風情で、時間の経つのが惜しいと思ったものです。


■ジェノバの世界遺産の邸宅ドーリア・トゥルシ館は現在市庁舎

■コロンブスの生家があったとされる場所に復元された建物

 帰船して、翌朝、最後の寄港地はローマに近いイタリアのチヴィタヴェッキア港。下船してフィウミチーノ空港から、再びドバイを経て帰国しました。リポートの最後に、初めてのクルーズ体験について記しておきます。乗船した「MSCスプレンディダ号」は、13万7940トン、全長338メートル、乗客3274人という世界で5番目の大型客船でした。

 船の構造は18階層になっており、まるで超大型のビルのようです。船の面積が150万平方メートルもあり、室数は1751部屋に及び、自室に戻るのにも迷うほどです。船内にはバーやラウンジをはじめ、複数のプールやジェットバス、各種スポーツ施設、映写室、図書室、さらには500人以上入場可能なシアターまで備わっています。従業員が約2000人もいて、5000人以上の人が住む街ごと動いているといっても過言ではありません。

 毎朝、船内新聞が発行され、その日のシアターの内容やバー・レストランの案内、寄港地の観光情報などが掲載されています。私たち3泊4日でしたが、世界各地からの乗船客には地中海一周組もいます。世界にはその日暮らしも困る貧民もいれば、優雅な船上生活をエンジョイできる金持ちもいます。格差社会は世の現実です。何事も体験してみて実感できることです。複雑な思いを抱きながらも、船上デッキで仰いだ地中海の日の出の光景は至福のひと時でした。


■乗船した大型客船「MSCスプレンディダ号」

■各種娯楽が整ったカジノ

■シアターのショーのフィナーレ

■船上デッキで仰いだ地中海の日の出

 21世になっても世界各地で紛争が続き、年が明けてもテロがやみません。グローバル化した世界にあって、国際協調がより必要な時代に逆行して、イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領の発言など自国優先主義が台頭しています。混迷を深める世界は広く複雑です。こうした時代をどのように生きるかは個々人の課題です。ともあれ私たちは、一日一日を大切に過ごしたいものです。