白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

新刊『シルクロードの現代日本人列伝』を出しました

■新刊『シルクロードの現代日本人列伝』の表紙

■タクラマカン砂漠を行くラクダの隊列
(元NHK「シルクロード」取材班団長・鈴木肇さん提供)

■タクラマカン砂漠の西域南道で写生をする平山郁夫さん
(1981年、平山郁夫美術館提供)

■地面に点在する約2000年前のニヤ遺跡遺構
(小島康誉さん提供)

■カラテパ北丘の3~4世紀の僧院址全景
(2005年頃、加藤九祚さん提供)

■2003年に世界文化遺産に登録されているバーミヤン渓谷の全景
(2003年、前田耕作さん提供)
 「シルクロードの始点と天山回廊経路網」がユネスコ世界遺産委員会で、世界文化遺産に登録されました。中華人民共和国に加え、カザフスタン、キルギス両共和国と三国共同で申請された初めての本格的なシリアル・ノミネーション(複数の連続性有る遺産の推薦)でした。国境を超えての包括登録という新しい手法で、かつてないスケールの構想が動き出した意義は大です。
 今回のシルクロードの世界文化遺産の申請は中国の主導だったが、将来的には西方の「交易の道」であった地中海地域へ繋がれていくのは確実だ。東に延長させて、日本でも沖ノ島、太宰府を経て奈良に至る「仏教伝播の道」への可能性も秘めています。
 「シルクロードが世界遺産に」のニュースの陰で、国際貢献に尽くす日本人がいることは余り知られていません。「絹の道を世界遺産に」と着想し、口火を切ったのは、日本画家でユネスコ親善大使であった故・平山郁夫さんでした。2009年に亡くなった平山さんは、玄奘三蔵の姿を幻想的に描いた「仏教伝来」(1959年、佐久市立近代美術館蔵)が出世作となり、被爆画家の切なる平和への願いを絵筆に表現し、世界の文化財を守る活動に邁進されたのです。 社長業を投げ捨て僧侶になった小島康誉さんは、新疆ウイグル自治区のキジル千仏洞の修復に私財を投じ、ニヤやダンダンウイリク遺跡の日中共同学術調査団を組織するなど約30年にわたって、学術研究の支援を続けています。
 4年8ヵ月もシベリアに抑留された体験を持つ92歳の加藤九祚さんは、なおもウズベキスタンの仏教遺跡の発掘ロマンを持続しています。巨大ストゥーパの発見や発掘成果の日本での展示を実現し、著書の執筆に精励する日々です。 玄奘の意志に導かれアフガン往還半世紀になる前田耕作さんは、悲劇のバーミヤンの再生に情熱を燃やすています。ソ連の侵攻前から現地に入り、2003年から始まったユネスコの保存・修復活動の中心的役割を担っています。
 広大なユーラシア大陸の上に展開したシルクロードは、交易の道として栄え、いくつもの国を通過し、東西交流の豊かな文化を生み出してきました。しかし紀元前にはアレクサンドロス大王が東征し、紀元後もチンギスハーンが征西するなど幾度となく興亡の歴史を刻んだ戦の道でもありました。現在もアフガニスタンやシリアで内戦が続きます。さらに新疆ウイグル自治区では、深刻な民族問題を抱えます。
 今回の世界文化遺産は、玄奘のたどった道とも重なり、遺骨を祀っている西安の興教寺や、経典を翻訳し納めた大雁塔、立ち寄った高昌・交河故城、キジル千仏洞、スバシ仏寺などが含まれています。言葉や自然の壁を超えて交流し無事に求法の目的を成し遂げた玄奘や、交易のためにオアシスを通過し幾つもの国を旅した隊商の人びとに、「平和への道」のあるべき姿を見いだすことができます。
 今後、シルクロードを単に観光開発の対象としてではなく、「平和と国際交流の道」にすべきであろう。わが国にとっても、シルクロードは仏教や、様々な文物が伝わってきた日本文化の源流であり、ユーラシア大陸と密接に繋がってきた歴史を理解し、一層の国際貢献が望まれます。
 アジアとヨーロッパを結ぶ大動脈のシルクロードが、人類共有の普遍的価値を持つ文化遺産であると同時に、人類悲願の国際平和の象徴としての役割を担ってこそ、真の価値があるからです。

【新刊の構成】

序 章 体験的シルクロードの旅 玄奘三蔵の足跡をたどる
第一章 求法と鎮魂、玄奘の道を追体験
     平山郁夫・平和願い文化財赤十字への道
第二章 新疆ウイグルで遺跡保護研究
     小島康誉・日中相互理解促進へ命燃やす
第三章 ウズベキスタンで遺跡調査
     加藤九祚・90歳超えても発掘ロマン
第四章 バーミヤン遺跡の継続調査
     前田耕作・アフガニスタン往還半世紀
終 章 玄奘の生き方指針に平和の道へ
     それぞれのシルクロード、わが想い