国家破綻危機が報じられたギリシャへ、12月中旬初めて旅をしました。この年3月に神戸市立博物館で、「大英博物館所蔵 古代ギリシャ展」を鑑賞し、日本初公開の傑作「円盤投げ」(ディスコボロス)の美しさに魅了されました。4月になってイギリスに行き、大英博物館の「ギリシャ・ローマ」コレクションの造形美に驚嘆したのでした。そこで「何としても次はギリシャへ」と気持ちが動いたのです。お目当ては大英博物館にあった彫刻の数々が施されていたパルテノン神殿です。ローマ以前に古代国家を築いたギリシャだけあって世界遺産も多く、いくつかを見学しました。わずか1週間の駆け足でしたが、エーゲ海クルーズも楽しむことが出来ました。年が明けて、なおも深刻な経済危機の続くギリシャの安定を願わずにいられません。

アクロポリスの丘から眺望は圧巻

 一時催行が危ぶまれたツアーでしたが、予定通り関西空港からカタール航空でドーハへ。関西空港から約11時間半、乗り換えに2時間余。ここからアテネへ4時間40分でした。ところがドーハで軍事演習と重なり出発が1時間半遅れ、到着まで約20時間もかかり、アテネに着いたのが午後2時前になりました。ただちにアクロポリスの丘に直行する予定が、この時期の入場時間は午後3時までなので、最終日まで持ち越しとなりました。しかしハイライトのアテネと周辺のスポットから紹介します。

 海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街は壮観です。高台にある古代の遺跡から現代の都市景観が一望できます。逆に市内のどこからもアクロポリスの丘を仰ぎ見ることができ、夜の街からライトアップに照らされる古代の景観も格別。悠久の歴史が混在しているのです。もちろんアクロポリスの丘は、1987年に世界遺産に登録されています。

 ギリシャ文明の栄華の名残をとどめるパルテノン神殿の遺跡に立つと、あの大英博物館にあった彫刻の数々が、この地で修復・復元されたなら、どれほどすばらしい光景が眼前に広がるのであろうか、と複雑な思いにかられました。現在は保存工事のためクレーンが置かれ、やや興ざめでした。その北にカリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物が望めます。

 古代ギリシャは宿敵スパルタに敗れ、民主政治は衰退し、その後もアレクサンダー大王のマケドニアやローマ帝国、ピザンティン帝国などに支配されます。そしてパルテノン神殿も建造後2100年にして、オスマン帝国の火薬庫になっていたため、ヴィネツィア軍の砲撃で大爆発を起こし崩壊したのでした。

 なんとも無残で愚かな戦争の歴史。日本では縄文晩期から弥生早期にかかる時期に、大理石をふんだんに使用した重層建築の神殿が出現していたのだから驚きというほかありません。そんな時代に世界に先駆け都市国家を形成し、民主政治を確立していたギリシャが、21世紀になって、国家破綻の窮地に立ってしまうとは…。

 パルテノン神殿を飾っていた破風彫刻の女神や「騎士たちの行列」「座せる神々」などの浮彫の美しさには感嘆しました。これらの展示品は19世紀にイギリスに持ち帰ったエルギン伯爵の名にちなんでエルギン・マーブルズと呼ばれ大英博物館の至宝中の至宝となっているのです。

 一方こうした展示品について、ギリシャ政府は幾度となく返還要求をしています。しかしイギリス側は「返還すると保管状態が悪化してしまう」といった理屈で、拒否し続けているのです。ユネスコでは、「ギリシャとイギリスが話をする場を提供することです」と、難題を率直に認めています。

 美術、文学、哲学、スポーツなど様々な文化が花開いた古代ギリシャ。なかでも「人類史上もっとも美しい」とも評されるギリシャ美術は、その後の西洋文明における「美」のお手本となったのでした。


■パルテノン神殿の偉容

■保存工事のためクレーンが置かれたパルテノン神殿

■カリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を
柱廊にしたエレクテイオン
国が危機でも幸せなギリシャ人?

 アテネ周辺を案内していただいたのは、ギリシャ政府公認ガイドの資格を持つノリコ・エルピーダ・モネンヴァシティさんです。1939年佐賀県生まれで72歳。43年前に日本で知ったギリシャ人と結婚し、ずっとアテネに住んでいます。

 ギリシャをこよなく愛しているノリコさんは東日本大震災時、母国・日本にいたそうです。帰国後、ギリシャの知人から日本の窮状に援助の申し出があったと言います。「生活は楽ではないが、もう一人や二人は養える。震災孤児を受け入れたい」とのアテネ市民の言葉に感動を憶えたとのことです。

 エーゲ海沿いの高速道路からは、リゾートハウスが点在しています。「ほとんどが市民のセカンドハウスです。そんなにお金持ちでなくても、休みには出向いてきてヨットでクルーを楽しんでいますよ」とのことでした。

 日本で伝えられていたような市民生活の深刻さは、街の表情からも見られません。「一時、デモや集会の騒ぎもあったのですが、12月ともなると、ほとんど見かけない」と、ノリコさんは話していました。東日本大震災のニュースに、ヨーロッパで「日本壊滅」との風評が流れたのと逆のケースです。

 ギリシャの国民性について、ギリシャに3年間在住したことのある作家の池澤夏樹さんは朝日新聞で「幸福なギリシャ」のテーマで、皮肉交じりに次のような文章を寄せています。

 前の政府が巨額の財政赤字を隠していた。公務員の数がとんでもなく多くて、いわば国民みんなが国にたかって暮らしていた。(中略)国家が破綻しかけているというのに、国民はこの事態に反対するデモをしている。これまでのような楽な暮らしをさせろと訴えている。EUを牽引するドイツなどからは「なんといいう連中だ!」という声があがる。(中略)  生きる原理が違うのだ。ギリシャがEUに入ると聞いた時の危惧はそこに由来する。国家とか世界経済とか、金融とか、そういうグローバルでない人々。EU加盟の直後に聞いた愚痴は「おいしいトマトはみんな北に行ってしまう」というものだった。

 アテネから約130キロ、紀元前17世紀末に栄えた古代都市遺跡のミケーネに足を延ばしました。トルコのトロイの遺跡を発掘したあのハインリッヒ・シュリーマンが、ホメロスの叙事詩『イリアス』を信じて発見し、円形墳墓跡から黄金のマスクなどを発掘しています。王宮跡や城壁、巨大な切り石を用いた獅子門などの遺構から、その繁栄ぶりがしのばれました。

 近くに入り口が三角形のアトレウスの墳墓があり、内部に入り天井を見上げると、見事な蜂の巣の形状をしていました。入り口の上にあるまぐさ石は120トンとか。ほぼ原形をとどめており、当然ながら、ほとんど盗掘されていたそうです。紀元前1250年ごろに建設されといわれ、高度な技法に驚くばかりです。

 アテネへの帰路、オスマン領となっていたギリシャで19世紀前半に首都のあったナフプリオンに立ち寄りました。現在の人口は、わずか約1万4千人ほどですが、かつての都の雰囲気が感じられました。アテネ市内では、第1回近代オリンピック競技場を見学しました。2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアムとして大改修が施されていました。

 車中では、ノリコさんからギリシャ神話を聞きました。太陽の神アポロンは、清純で可憐な乙女ダフニに恋をし、腕をつかみますが、男性を嫌う彼女の腕は小枝になり、身体は月桂樹となった話もその一つです。アポロンは「お前と一緒に過ごしたい」と小枝を折り、頭に載せたのが月桂冠の始まりで、マラソンなどの競技の優勝者に与えられるようになったとのことです。


■アクロポリスの丘から眺める虹のかかったアテネ市街

■古代都市遺跡のミケーネの獅子門

■黄金のマスクなどが発掘された円形墳墓跡

■三角形の入り口がある蜂の巣状のアトレウスの墳墓

■ライトアップの第1回近代オリンピック競技場
奇景や古代の聖地、エーゲ海の魅力

 ギリシャ中部カランバカに到着したのは夜だったため、気づかなかったのですが、翌朝、ホテルの裏手に散歩に出ると、奇岩が林立し、その上に建物が乗っかっているではありませんか。1988年に世界遺産に登録された有名なメテオラは、ギリシャ語で「中空に浮かぶ」を意味します。この異様な光景は水の浸食作用で生まれたと考えられていますが、湖が風化して岩石が露出したと言う説もあるようです。

 奇岩の高さは20-30メートルから400メートルに及び、建物はいずれも修道院です。15-16世紀には24も数えたそうですが、いまは6ヵ所のみ。このうちルサヌ修道院とヴァルラアム修道院を訪ねました。修道女のためのルサヌは3階建てで、小規模ながら修復され美しいイコンが飾られていました。

 ヴァルラアムは規模が大きく、断崖の上に建っており、滑車の縄はしごがいまも垂れ下がっています。貯蔵庫には、生活用水が1万3000リットルも入る16世紀の樽が置かれていました。礼拝堂には17世紀のフレスコ画が掲げられ、イコンや木彫品なども陳列されていました。

 現在は修道院まで道や階段が整備されていますが、どれほどの困難な工事であったことか、孤立無援で暮らす修道士の生活はいかに不便であったことでしょう。下界とは隔てられた場所だけに、神への祈りに没頭できたのかもしれません。便利社会の現代人に、生きることの意味を考えさせる情景です。

 メテオラからデルフィへの途中、映画「300」で話題になったセルモビーレスに立ち寄りました。紀元前480年スパルタ王レオニダスの元に大帝国ペルシアの使者が訪れ、服従を要求しますが、レオニダスはこれを拒否し、その使者を殺害します。そしてわずか300人の軍勢で100万人のペルシア軍を迎え撃った激戦地で、記念碑が建っていました。

 古代の聖地であった考古遺跡のデルフィは、紀元前にアポロンの神託が行われていました。またこの地は「大地のヘソ」(地球の中心)と考えられていました。アポロン神殿は巫女による神託を受けた所で、6本の円柱が残っています。神殿北西の丘の上に、4世紀に創られたギリシャ最古の劇場遺跡も35段の階段席などほぼ原形そのままに痕跡をとどめています。アクロポリスの丘と同じ1987年に世界遺産に登録されています。

 遺跡のふもとにデルフィ博物館があります。聖域と周辺からの出土品を展示しています。最も優れた文化財は青銅製の「御者の像」。1896年に劇場付近で発見されたそうです。アルカイック期の彫像の中でも、保存状態がよい傑作です。不思議な笑みを湛える「ナクソスのスフィンクス」像も、10メートル以上もある柱の上に置かれていたとのことですが、印象的な出土品です。

 帰国前日にはエーゲ海の1日クルーズに出かけました。湖のように穏やかで刻々と7色に変化すると言われるエーゲ海ですが、あいにくの荒天。風が強く寄港が心配されたのですが、アテネ港を離れるにつれ回復し、予定通りイドラ島へ上陸。海岸沿いに土産物屋が軒を並べています。細い急坂の路地に入ると、そこは迷路です。この島ではタクシー代わりにロバが活躍し、車は無用です。

 続いて降りたポロス島では、土産物を物色していて時間を費やしました。最後のエギナ島はアテネと並び繁栄を誇った所です。雨になりましたが、島の守護女神アフェアを祀る神殿があります。保存状態が良く、かなり原形をとどめていて、後期アルカイック神殿の最高傑作とのことでした。

 今回のギリシャの旅では、オリンピアやエビダウロスの古代遺跡はじめロドスの中世都市やミストラの要塞などにも行けませんでした。世界史に輝かしい古代文明の名残をそこここに秘めるギリシャは魅力的です。歴史の興亡を繰り返し、いままた財政破綻の危機に直面しております。国を挙げて乗り切って欲しいものです。古代の神々も見守っていることでしょう。


■奇岩の上に建つヴァルラアム修道院

■6本の円柱が残るデルフィのアポロン神殿

■ギリシャ最古の劇場遺跡

■最高傑作の青銅製の「御者の像」

■不思議な笑みを湛える「ナクソスのスフィンクス」像

■エーゲ海の1日クルーズで上陸したイドラ島

■ポロス島のアフェア神殿

白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

経済危機の続くギリシャを旅する