金沢21世紀美術館のギャラリーの一室で、わずか3点のみ展示した展覧会が来年2月12日まで開かれています。「ベトナム絹絵画家 グエン・ファン・チャン 絵画修復プロジェクト展」。この長いタイトルの展覧会名通り、その内容は、ベトナムが誇る近代絹絵のパイオニアとして知られる画家が遺したものの劣化の進む作品を、日本で修復し展示しているのです。作品は戦争など苦難の歴史にひるまず美しい情景を追い求めた庶民の強さを感じさせます。このプロジェクトに3年がかりで取り組んだのが金沢市在住の一市民、中村勤さんでした。その中村さんからの要請もあって、私もプロセスに関わってきたのでした。小さな規模ながら、国際貢献への大きな夢に向けた展覧会が実現するプロセスを追ってみました。

グエン・ファン・チャンが描く農村

 グエン・ファン・チャン(1892-1984)は、貧しい儒家の家に生まれました。画才があり、書画を売ってフランス語を独学し、小学校の先生の職に就きます。しかし画家になるため、1925年にインドシナ美術学校の1期生として入学し、西洋絵画の技法も学びました。やがて中国伝統絵画の技法を習得し、在学中にベトナムにおける最初の近代絹絵を発表。その後も一貫して農村と、そこに暮らす女性や子どもたちを絹絵に描き続けたのでした。初期の傑作は、1931年に開催されたパリ国際植民地博覧会に展示された後、ベルギー、イタリア、アメリカ、日本にも巡回しています。

 今回修復された作品は、「牛に乗って川を渡る女」(1967年)と、「船を燻す女」(1938年)、「薪を取りに行く」(1938年)で、いずれもベトナムの農村の素朴な日常風景と、けなげに生きる女性を捉えています。中でも「牛に乗って川を渡る女」は、農作業を終えた女性が牛の背にまたがり、夕陽に染まる川を渡って家路に向かう様子を詩情豊かに描いています。まるでキャンパスの情景にタイムスリップするようで、画家の温かいまなざしが伝わってきます。

 修復前には、繊細な絹の画布に水彩絵の具で描かれていますが、かびや虫食いなどで色あせ、欠損も目立っていました。高温多湿の環境が劣化の進行を早めているのです。修復後の3点は欠損部分が見事に埋められ、元の作品の再現が図られていました。会場には、修復までのドキュメンタリー映像も放映されています。

 10月22日に開幕した「絵画修復プロジェクト展」には、86歳になる画家の長女で修復を依頼したグエン・グエット・トゥさんと、その長男夫妻も駆けつけていました。この作品をよみがえらせたのが、修復家の岩井希久子さんで、ゴッホの「ひまわり」やモネの「睡蓮」なども手がけた、この道の第一人者です。岩井さんは2度にわたって現地を訪れ、グエット・トゥさんとは顔見知りでした。二人は修復された作品の前で、何度も手を握り合って喜びに包まれていました。

 開幕日に関係者を集め、金沢21世紀美術館の秋元雄史館長の司会でトークの催しがありました。岩井さんは「とても傷んだ作品で修復は困難だと思いました。中村さんの熱い思いと、遺族の願いに『なんとかします』と言ったこともあり、約束を果たせてほっとしています」と話していました。

 またトークに先立って挨拶に立ったグエット・トゥさんは「修復の完成度が高く、驚き感激しました。父が生まれて120年目の大きなプレゼントになりました。この絵を見つけ修復への努力を重ねていただいた中村さんはじめ支援していただいた皆さんに感謝します」と、しっかりした口調で語っていました。

 遺族の願いに心動かされた一市民

 グエット・トゥさんと岩井さんが何度も名前を口にしていた中村さんの存在抜きに、このプロジェクトは成り立ちませんでした。中村さんは金沢でテレビのCMや番組、ビデオ制作などの映像関係の会社を経営しています。人間国宝シリーズのHD作品「大場松魚」や「寺井直次」なども手がけています。

 今回の修復プロジェクトは、映像の素材を探していたことありますが、まさに偶然といえます。三谷産業株式会社(本社・東京都)から委託されたプロモーション・ビデオの制作でホーチミンの同社事務所を訪ね、テーブルに置かれた小さなカレンダーの絵を見たことが発端となったのでした。

 グエン・ファン・チャンの作品は彼を魅了したのです。「風に吹き流される籾の動きが独特の手法で表現され、描かれた農村の女性の表情に気品があふれていました」と述懐しています。現地書店の美術書コーナーで画家の名前や絹絵のことを知り得たのでした。帰国後に調査を始め、画家の作品「オーアンクァン遊び」(1931年)が福岡アジア美術館で所蔵されていることと、2005年から2006年にかけて東京と高知、和歌山、福岡の美術館で開催された「ベトナム近代絵画展」に4点が出品されていたことが判明したのです。

 「本物の絵を見たい」と思い立ち、翌2008年5月に渡越した中村さんは、ハノイのベトナム国立美術館やホーチミンで、オリジナル作品を鑑賞します。さらにベトナム外務省職員の好意で、グエット・トゥさんの自宅を訪ね、遺品として所有する作品を拝見したのでした。ところが劣化の現状を目の当たりにしたのです。

 「大切な父の作品が傷んでいます。日本の高い修復技術で直してください」とのグエット・トゥさんの申し出に、中村さんは心が動かされたと言います。それからの中村さんは、修復プロジェクトに邁進することになります。アジアの近代美術に造詣の深い後小路雅弘・九州大学教授をはじめ、福岡に、東京に、大阪に方途を探っての旅が始まったのです。

 2009年3月には、修復家の岩井さんを伴ってハノイに赴きます。グエット・トゥさんの自宅にある作品以外にも、ベトナム国立美術館の展示室や収蔵庫の作品も調査したのです。もともと映像制作を生業とする中村さんは、この時から記録映像の撮影を始めます。その後のプレゼンテーションに役立つと考えたからです。

 この間、国際交流基金などにも足を運びますが、修復への理解はえられたものの、当面の費用のメドが立ちません。やむなくベトナムでの仕事を依頼された三谷産業に懇願したのです。事情を聞いた三谷充会長から「修復費用の協力をしましょう。条件は修復した作品を金沢で展示し、多くの方に見ていただくことです」との言葉を引き出したのです。そして金沢21世紀美術館の秋元館長が理解を示し、冒頭の展覧会にたどり着いたのでした。


■グエン・ファン・チャン(1892-1984、中村勤さん提供)

■グエン・ファン・チャン「船を燻す女」(修復後 1938年、グエン家蔵)

■グエン・ファン・チャン「牛に乗って川を渡る女」
(修復後 1967年、三谷産業株式会社蔵)(C)Nguyen Nguyet Tu

■「牛に乗って川を渡る女」(修復前)

■グエン・ファン・チャン「薪を取りに行く」
(修復後 1938年、グエン家蔵)(C)Nguyen Nguyet Tu
今後も修復プロジェクトを継続

  さてグエン・ファン・チャンの名前は、日本ではほとんど知られていません。ところが私はこの画家の作品4点を2005年11月、東京ステーションギャラリーで見ています。ベトナムの画家たちが表現し開拓してきた近代絵画の歴史をたどる「ベトナム近代絵画展」に出品されていたからです。たまたま上京中に開かれていた内覧会で、来日していたベトナム国立美術館館長に案内していただいて鑑賞できたのでした。
私は当時寄稿していたネットのサイト「アートシティ展」に、「グエン・ファン・チャンの日常を描く情緒ある作品は、フランスの展覧会でも出品して評価を得た絹絵の世界を方向付けた」と触れ、数ある展示作品の中から「竹を編む」(1960年)の画像を取り上げたのでした。「漆絵と並んで、ベトナム特有の手法で描かれているのが絹絵です。『竹を編む』は、日本的な構図でノスタルジーを感じさせます」と記しています。
この一篇のエッセイによって、私が中村さんの夢のプロジェクトに関わることになったのです。中村さんが友人の伝手でフレスコ画修復の宮下孝晴・金沢大学教授と会い、その後に私のサイトを紹介されたのでした。すでに新聞社を退社していた私は、中村さんの協力要請の連絡に「何の力にもなれないのでは…」と返事をしましたが、誠実な言葉を受け大阪で会うことになったのです。
中村さんの素朴な人柄と熱意に、私としてもできる限りの支援を約束したのでした。その後、まず東京ステーションギャラリーの田中晴子学芸員を紹介し、「ベトナム近代絵画展」についての説明を聞いたり、院展の審査員である日本画の今井珠泉画伯に作品図録を見ていただき、修復についての意見も伺いました。さらに(財)文化財保護・芸術研究助成財団や国際交流基金、佐倉のIWAI ART保存修復研究所の事務所にも同行したのでした。
度々渡越する中村さんは、その都度メールで情報を伝えてくれました。とりわけ岩井さんを伴っての調査行を映像に記録しており、京都のホテルで見せていただいた時には、正直驚きました。DVDには、「『美しい昔』を未来に」とのタイトルが付けられ、ドキュメントとして編集されていました。「これは使命感を持った人の無私の行為だな」と感銘を受けたのでした。
私はこのプロジェクトを多くの人に知っていただこうとの立場から、NHKの番組にならないかと考え、中村さんの了解を得て、NHKプラネット近畿総支社番組制作センターの肥田晥・センター長に提案したのです。紆余曲折はありましたが、今年7月、BSプレミアムの新番組「旅のチカラ」で取り上げられ、「幻の絹絵よ!よみがえれ~絵画修復家 岩井希久子ベトナム・ハノイ~」が放映されました。
岩井さんは絹絵の修復には、技術面だけでなく画家の心に触れることが必要との認識でした。この番組で、画家の故郷を訪ね、家族や弟子に会い、描かれた場所に立って画家の実像を求める旅をしたのです。今回修復された「牛に乗って川を渡る女」の背景になっている場所では、夕陽の中に身を置き、画家が絵筆を執った風景を追体験していました。


■展示室では修復までの映像も

■修復された絹絵作品の前で歓談する
左からグエン・グエット・トゥさん、岩井希久子さん、中村勤さん

■トークに先立って挨拶する
グエン・グエット・トゥさん(中央)と長男夫妻

■IWAI ART 保存修復研究所に運び込まれた修復前の作品

■ベトナム国立美術館で調査する岩井希久子さん
(中村勤さん提供)

■ベトナム国立美術館に展示されている
グエン・ファン・チャンの作品(中村勤さん提供)

■グエン・ファン・チャン「オーアンクァン遊び」
(1931年、福岡アジア美術館蔵)

■グエン・ファン・チャン「竹を編む」
(1960年、福岡アジア美術館蔵)


 

ベトナムはいま、経済発展し、日本からの企業進出も顕著です。しかし安保世代の私にとって、ベトナム戦争が真っ先に頭をかすめます。ベトナムの地が南北に分断されて、東西陣営の軍事衝突が1960年代初頭から1975年まで約15年間も続いたのです。多くの犠牲者を出した戦争を乗り越えて、民衆の芸術活動が続けられたことは注目されます。

グエン・ファン・チャンの描いた世界は、素朴に静かなトーンで描かれています。長い植民地と戦争下の苦難を生き抜いてきた強さと、調和のとれた豊かな美意識を感じさせるに十分です。東南アジア各地には、なおベトナムの絹絵のように危機に瀕した美術品が存在します。そして劣化の一途をたどっています。

三谷産業では、グエット・トゥさんが所持している作品を今後も何年かかけて修復を続ける意向です。しかしグエン・ファン・チャンの作品はグエット・トゥさんのほかにベトナム国立美術館にも多数所蔵されています。修復された作品を保存していくには美術館のインフラ整備も課題です。

最後に中村さんは、これからも修復プロジェクトに取り組んでいくと断言しています。「私たちの希望は、今回の修復と展示から、修復を待つ多くの危機に瀕したベトナム固有の美術遺産を救うための道を拓くことにあります。こうした現実に少しだけでも目を向けていただければと願うばかりです」とコメントを寄せています。

白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

よみがえったベトナムの絹絵