日本画壇の重鎮であった平山郁夫画伯は1昨年12月2日に多くの国民に惜しまれつつも逝去され、まもなく三回忌を迎えます。60年余に及んだ画業と、内外の文化財の保存に多大な業績を遺された画伯を追悼する企画展「次世代への伝言(メッセージ)」が、新居浜市立郷土美術館で11月26日から12月25日まで開催されます。この間、12月10日には前愛媛県美術館名誉館長の原田平作さんらを迎え、シンポジウムも催されます。展覧会では約100点もの本画と素描、スケッチ作品や資料が一堂に展示されます。その作品を通じ平山先生の「日本画のこころ」と、絵に託された平和への思いを広く知っていただく、またとない機会です。

瀬戸内の風景が画家としての原点

 まずこの企画展が実現した経緯に触れておきます。私が朝日新聞社を定年退職した平成16年、新居浜文化協会55周年の記念事業に、平山先生を新居浜にお迎えできないかと、佐々木龍・新居浜市長をはじめ文化協会の役員らから熱望されました。私は朝日新聞創刊120周年記念事業などで平山先生のご指導を仰いでいたこともあって、その橋渡しをさせていただいたのでした。

 そうしたご縁もあって、昨年夏に実弟の平山助成さんが館長を務める公益財団法人の平山郁夫美術館から顕彰活動のお手伝いを要請され、展覧会コーディネーターを委嘱されたのでした。平山先生の名前は全国的に知られていますが、作品を直に見ていなかったり、その業績を十分に理解されていない人たちも多いことに着目し、私は地方への巡回展とシンポジウムや講演会、ギャラリートーク、ワークショップなどの企画を推進することにしました。

  そのスタートを私の故郷・新居浜で出来ないかと考え、郷土美術館の野口憲一館長と新居浜文化協会の篠原雅士会長に相談し、実現にこぎつけたのです。お二人は平成15年当時それぞれの役割は異なっていましたが、平山郁夫シルクロード美術館の開館にお誘いして、生前の画伯にもお目にかかっていただいた思い出もあります。

 さて今回の展覧会は大きく分けて二つのテーマがあります。その一つが画伯の故郷の風景であり、もう一つが悠久の歴史を持つシルクロードの作品です。故郷の風景を描いた作品は、日本画家としての原点となりました。少年時代を過ごした瀬戸田の風景をこよなく愛し、数多くの作品を残してきました。中でも戦後の昭和20-昭和35年代と、平成11年のしまなみ海道の開通に合わせての作品によって、時代の変遷をたどることができます。

 初期作品で注目されるのは大下図の「浅春」(昭和30年)です。生家近くの海岸で仕事をする人たちを描いていますが、もともと一人ずつスケッチしたものを画面上で構成したものです。本作は第40回院展に出品された同名作の下図ですが、色を施した本画では見られない線の魅力がよく分かります。

  平山先生にとって、その後の人生に大きな影を投げかけたのが被爆体験でした。中学3年の昭和20年8月6日、学生勤労動員で駆り出されていた広島市の陸軍兵器補給廠で被爆し、放射能障害の後遺症に苦しめられながらの画家生活だったのです。そうした宿命的な体験がいつしか平和を祈る作品を希求することになりました。本展では、画家の生い立ちを画家自身の言葉を添えた作品も数多く出されています。

 原爆のことは題材としてなかなか描けなかったそうです。一面の火の海となった広島の街並みの中に原爆ドームがシルエットのように浮かび、そして天空高く不動明王が姿を見せる「広島生変図」(広島県立美術館蔵)が描かれたのは、34年後の昭和54年のことだったのです。今回出品される「原爆ドーム」や「閃光」「廃墟と化した広島」はいずれも平成3年制作の素描です。作品には当時の記憶を綴った文章が添えられています。

 生家や近くの国宝の向上寺三重塔、父母の顔を描いた素描などに加え、「瀬戸田曼荼羅」(昭和60年)は、瀬戸田町に音楽ホールがつくられた際、緞帳の原画として依頼されて描いた名作です。しまなみ海道を描いた作品では、瀬戸内のパノラマ展開の中で長大橋を描いた幅が5メートルを超す大作「天かける白い橋」(平成12年)をはじめ、「白い橋 因島大橋」、「因島大橋 夕陽」(いずれも平成11年)などの本画が出展されますが、そのスケールの大きさや豊かな色彩に見ごたえがあります。


■平山郁夫先生の遺影

■多数の方が参列した平山先生のお別れ会(平成21年2月2日)

■新居浜文化協会55周年記念の平山郁夫講演会のチラシ(平成16年11月28日)

■平山先生の講演後、筆者との対談

■実家から望む瀬戸田港の夕景

■「浅春」(昭和30年、平山郁夫美術館蔵)

■「原爆ドーム」(平成3年、平山郁夫美術館蔵)

■「瀬戸田曼荼羅」(昭和60年、平山郁夫美術館蔵)

■実家の裏山にある向上寺の三重塔(国宝)

■「向上寺三重塔」(平成11年、平山郁夫美術館蔵)

■「天かける白い橋」(平成12年、平山郁夫美術館蔵)

■「白い橋 因島大橋」(平成11年、平山郁夫美術館蔵)

■「因島大橋夕陽」(平成11年、平山郁夫美術館蔵)
壮大な着想でシルクロードを描く

  転機となった作品は昭和34年の「仏教伝来」(佐久市立近代美術館蔵)でした。原爆の後遺症に苦しむ日々、インドへ命がけの求法の旅に出た唐僧・玄奘三蔵の姿を描いたのです。その後も昭和36年に「入涅槃幻想」(東京国立近代美術館蔵)を発表し、画壇で高く評価され、仏教や仏伝をテーマとした作品を取り上げます。平成12年には薬師寺の玄奘三蔵院に20年以上の歳月をかけて完成させた「大唐西域壁画」を奉納したのでした。

 日本文化と仏教の源流を探り続けた平山先生は東西文化の交流へと視点を広げます。仏教東漸のシルクロードは、ライフワークとなりました。トルコのカッパドキアから、アフガニスタン、インド、イラン、シリア、チベット、敦煌、楼蘭などへの旅につながりました。シルクロード行は約200回も数え、現地に息づいている歴史や文化、人の営みに触れます。そこから様々なスケールの大きい作品の着想を得たのです。遺跡を単なる風景としてではなく、豊かな文明交流の視点で描きました。そこには文明への深い洞察力があります。旅で目にした遺跡の荒廃は、文化遺産を風化や紛争から守る「文化財赤十字構想」の提唱につながったのです。

  平山作品といえば、熱砂のシルクロードを行くラクダや、果てしない沙漠などを思い浮かべる人も多いことでしょう。本展にも「流沙浄土変」(昭和51年、ジャパンヘルスサミット蔵)と「アンコールワットの月」(平成5年)の名作が出展されています。このほか「バーミアン大石仏を偲ぶ」(平成13年)と「破壊されたバーミアン大石仏」(平成15年)は、文化財赤十字活動への思いを象徴する作品です。さらに「マルコ・ポーロ東方見聞録」(昭和51年、ジャパンヘルスサミット蔵)は、この展覧会の図録表紙になった大作です。

 今回の出品リストを作成した別府一道学芸員は「初期の作品と、シルクロードシリーズ以降の作品には、共通点がほとんどないように思われるかも知れないが、後年のシルクロードシリーズにも純粋な自然の美しさを切りとるような風景画がほとんどないように、平山郁夫の作品には、ごく少数の例外を除き、常に人あるいは人の営為、人の営為の痕跡が描かれていて、そこに単なる写生ではない歴史や文化、伝統までも描き込められた平山作品の特徴があるように思う」と指摘しています。

 また平山館長は「画家としてだけでなく、文化財保存活動や、それを通しての国際交流など、多方面に活動した兄でしたが、道なかばにして倒れたという印象は禁じ得ません。この展覧会は、平山郁夫の三回忌を期して、その画業や活動を改めて振り返り、生涯をかけて訴えたそのメッセージを次世代に伝えてゆくきっかけになればと思い企画したものです」と、語っています。

  なお今回の企画展は、新居浜市立郷土美術館を皮切りに、来年末にかけて名古屋の名鉄百貨店、岡山の瀬戸内市立美術館、明石市立文化博物館、北九州市立美術館にも巡回し開催の予定です。


■「流沙浄土変」(昭和51年、ジャパンヘルスサミット蔵)

■「アンコールワットの月」(平成5年、平山郁夫美術館蔵)

■「バーミアン大石仏を偲ぶ」(平成13年、平山郁夫美術館蔵)

■「破壊されたバーミアン大石仏」(平成15年、平山郁夫美術館蔵)

■「マルコ・ポーロ東方見聞行」(昭和51年、ジャパンヘルスサミット蔵)

画業と文化財保存の足跡を顕彰

 一方、平山郁夫展開催記念シンポジウムは12月10日午後1時半から新居浜市民文化センター 中ホールで催されます。まず原田・前愛媛県美術館長が「平山芸術の魅力」と題して基調講演をされ、その後に平山館長と篠原・新居浜文化協会会長も加わって、それぞれの立場から意見交換があります。進行は私が務めます。

  シンポジウムの論点・キーワードとして、今回の展覧会の感想や意義から画家が生まれ育まれた瀬戸内の自然、平山作品の画風の変遷、さらには文化財赤十字構想の展開、次世代へのメッセージなど幅広く取り上げます。また原田さんや平山館長らのお話に合わせ、今回出品されない代表作なども含め画像を舞台スクリーンに映し出し分かりやすく解説していただくことにしています。

 今回の展覧会の標題となった「次世代のメッセージ」について、平山先生は新居浜文化協会55周年記念講演会の時、私との対談で、「時代の使命感というべきものがあります。三蔵法師は真の仏法を伝えようと、インドまで旅をし、帰国後も仏典の翻訳に生涯をかけました。その後世に多くの影響を与え、後継者が育ち、日本の仏教にも貢献しました。私も歩んできた道にいくつかの種をまいてきました。必ず育ってくれると信じています」と話されています。

  最後に、中学卒業後、故郷・新居浜を離れて暮らす私にとって、平山先生が心血を注がれ描かれた数々の作品を故郷に展示するためのお手伝いが出来、その多大な功績を顕彰するシンポジウムの司会をさせていただくことはあrがたく感無量です。「美を描き、美を救った」稀有なる一画家の遺志とメッセージをしっかりと受け止めていただければ幸いです。


■シンポジウムのチラシ表

■シンポジウムのチラシ裏

白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

故郷・新居浜で平山郁夫展