『西遊記』で親しまれている三蔵法師こと玄奘三蔵(602?-664)。その玄奘は、今から約1400年前の7世紀、仏の教えを求めて唐の都・長安(中国の西安)から天竺(インド)へ往復17年もかけて旅をし、持ち帰った仏典を翻訳したのでした。日本の仏教にも多大な影響をもたらせた玄奘の生涯をテーマにした特別展「天竺へ 三蔵法師3万キロの旅」(以下、「天竺」展)は、奈良国立博物館で8月28日まで開催中です。12年も前になりましたが、私は朝日新聞創刊120周年記念企画として「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」展(以下、「三蔵」展)を担当し、1999年に奈良県立美術館と山口県立美術館、東京都美術館で巡回開催したのでした。当時の舞台裏を振り返りながら、国宝の「玄奘三蔵絵」を初めて全巻公開する「天竺へ」展を紹介します。

「玄奘三蔵絵」全12巻を初めて公開

 今回の「天竺」展の見どころはなんと言っても、財団法人藤田美術館が所蔵する「玄奘三蔵絵」(鎌倉時代)の全巻公開です。はるばる天竺へ旅立った玄奘三蔵の生涯を、高僧の伝記『大慈恩寺三蔵法師伝』をもとに制作されたのが、「玄奘三蔵絵」です。出家から求法の旅、仏典の漢訳、遷化に至る事績を、全12巻、全長にして190メートルを超える長大な画面にわたって描いた絵巻物です。

  この絵巻物は、もともと藤原氏の氏寺、興福寺に伝わったもので、「春日権現記絵」の画風と近似していることなどから、鎌倉時代後期の宮廷絵所の絵師、高階隆兼とその一門によって描かれたというのが定説になっているそうです。

  良質な顔料を用い、鮮やかに彩られる山水や、人物もいきいきと描き出し、鎌倉時代の宮廷絵所が生み出したやまと絵様式の最も完成した姿を現在に伝えています。数ある高僧伝絵巻の中でも屈指の出来栄えと評価されているのです。その魅力は、第1章「玄奘三蔵絵を旅する」のコーナーで披露されていますが、8月7日までと,9日から28日までの前、後期に分け場面の巻き替えが行われます。

  「三蔵」展では12巻中、第1、第3、第5の3巻を借用したのでした。開催館の学芸員を伴って借用に伺ったのですが、点検時に学芸員が額に汗をかき、手がふるえていたのを思い出しました。14世紀に描かれたとは思えない色彩豊かな名品に、緊張したでしょう。「三蔵」展でも展示した巻第1での「西域へ旅立つ」場面や巻第3の「雪路の天山山脈越え」は、「天竺」展のチラシにも紹介されています。

  「天竺」展で再会できた巻以外にも、巻第4の「仏足石を見て拝む玄奘」や、巻第6の「諸論の講義を受ける玄奘」、巻第8の行列の図、さらには巻第12の「入滅」の場面など興味が尽きません。やまと絵表現という当時の手法で巧みに場面展開し、天竺の宮殿なども日本風に緻密に描かれています。丹念に鑑賞するには、この絵巻物だけで2時間はかかりそうです。前期と後期を通じて全場面を見ることが可能ですが、それぞれ前、後半で見れない部分を写真展示で補完しています。

  この画期的な全巻展示を実現した奈良国立博物館の谷口耕生・学芸部保存修理指導室長は図録総説の中で、「多くの日本僧たちが、この絵を前に、遥か彼方にある憧れの国、天竺への思いをふくらましたことだろう」と結んでいます。

  第1章では、薬師寺に伝わる国宝の「仏足石」(奈良時代)や「玄奘三蔵坐像」(奈鎌倉時代)、「大唐三蔵聖教序」拓本(大谷大学博物館、原品は中国・唐)、さらには重要文化財「大唐西域記」(法隆寺、平安時代)、大慈恩寺三蔵法師伝(京都大学人文科学研究所、鎌倉時代)なども出品されていて、玄奘が東アジア仏教に残した偉大な足跡をたどることができます。


■「天竺へ」展入り口で「玄奘三蔵坐像」(薬師寺)の出迎え

(奈良国立博物館)


■国宝「玄奘三蔵絵 巻第3」(藤田美術館)

■国宝「玄奘三蔵絵 巻第1」(藤田美術館)

■国宝「仏足石」(薬師寺)

二つの「玄奘三蔵像」をめぐって

  「天竺」展のもう一つの目玉は、第2章「大般若経-求法の証」コーナーの国宝「大般若経(魚養経)」(奈良時代)387巻の一堂展示です。これも藤田美術館の至宝で、奈良時代に書写された遺品で奈良朝写経の名品とされています。玄奘がインドからもたらし漢訳した仏教経典のボリュームの大きさを実感でき、この展示の質量には圧倒されました。

 この「大般若経」の中央部に、有名な重要文化財の「玄奘三蔵像」(東京国立博物館、鎌倉時代)が効果的に展示されています。ただ重文の「玄奘三蔵像」は8月15日まで、その後は同じ図柄の個人像のものが展示されることになっています。脚絆、草履姿で、経典をいっぱい詰めた笈(おい)を背負っての旅姿。歴史の教科書にも出ていて、この種の展覧会には欠かせない重要な作品です。この二つの作品をめぐって苦い記憶がよみがえります。

  「三蔵」展では、この「玄奘三蔵像」を奈良会場のポスターやチラシの表紙にも使ったのですが、借用期間は3会場合わせ4週間の制約付きでした。この「玄奘三蔵像」と同じ鎌倉時代の絵柄の作品が、無指定ながらも東京国立博物館に寄託されていたのです。代替品として借りて、少しでも長い間、観客に見てもらいたいと、所蔵家に依頼したのです。持ち主は著名な学者で、文化勲章も受賞しています。さぞかし文化事業には理解があると思ったのが間違いでした。

 東京のご自宅まで訪ね何度もお願いしたのですが、国宝級の10倍もの保険評価額を提示され、断念せざるを得なかったのです。今回のようなテーマでないと公開の機会は少ない作品です。人目に触れることもなく、収蔵室にしまわれているのが決して文化財の存在意義ではないはずです。

 所蔵家が、国の文化の貢献者として表彰された人格者だけに、残念で仕方がありませんでした。三蔵展後に故人となり、作品は依然博物館に寄託されたままなのか、「天竺」展には代替出品されるようです。二度とお目にかかれないと思っていただけに、複雑な心境で拝見することになります。

  第3章の「『西遊記』への道のり」には、「求法取経僧図」(天理大学天理図書館、中国・唐)や「深沙大将立像」(京都・金剛院、鎌倉時代)「釈迦十六善神像」(薬師寺と西大寺、鎌倉時代)、「玄奘三蔵十六善神図」(奈良・達磨寺、南北朝時代)、「安西楡林窟壁画模写」(薬師寺、原本は中国・西夏)などが展示されています。「三蔵」展と同じ作品や所蔵先は別な所の展示品もあって、懐かしく鑑賞しました。

 さらに第4章として、「憧憬の天竺」では文字通り、「五天竺図」も法隆寺の甲本(南北朝時代)乙本(江戸時代)や神戸市立博物館所蔵品(江戸時代)などが比較展示され、「法相曼荼羅」(薬師寺、鎌倉時代)などが出品されていました。


■国宝「大般若経(魚養経)」(藤田美術館)

■重要文化財「玄奘三蔵像」東京国立博物館

■「五天竺図」(法隆寺)

■「天竺へ」と「三蔵法師の道」(右)の展覧会図録

玄奘三蔵の生き方に次代への指針

 このほか全4章を通じ、玄奘三蔵ゆかりの「瑜伽師地論」(薬師寺、奈良時代)はじめ「楊東来先生批評西遊記」(宮内庁書陵部、中国・明)や「李卓吾先生批評西遊記」(広島市立図書館、中国・明)、重要文化財「宋版三蔵取経詩話」(大倉文化財団、中国・南宋)なども網羅されています。

  「宋版三蔵取経詩話」は、三蔵展で監修していただいた北海道大学名誉教授の中野美代子さんが玄奘の逸話を体系的にまとめ『西遊記』の成立を探る貴重な資料として借用を強く望んでいたのですが、許可されませんでした。「天竺」展に出展されたのは、さすが奈良博の信頼力だと感心しました。

 当初から国内に限って展覧会の企画構成を考えていたと思われますが、残念なのは玄奘三蔵の故郷である中国からの出品がなされていないことです。「三蔵」展では、陝西省文物管理局と契約の詰めも終え、唐時代の仏教美術を中心に50点余の借用が確定していたのですが、開幕の約2ヵ月前になってキャンセルされてしまったのでした。それだけに、「天竺」展で中国からどんな出品リストが選定され、鑑賞できるのか関心があり、楽しみにもしていました。

  「三蔵」展でのキャンセルは、「日本国内での展覧会が多過ぎ、国家文物局への認可手続きが遅かった」などが、表向きの理由ですが、開幕直前での突然のキャンセルに納得のいく理由が示されず、日本と中国の文化交流に果たした玄奘を取り上げたテーマ性や国際信義の立場からも不本意なことでした。

  緊急事態を受け、やむなく国内にある唐代の名品を調査しリストアップし、白鶴美術館はじめ大阪市立東洋陶磁美術館、さらには東京の永青文庫、静嘉堂文庫、五島美術館などの代替品でまかなうことができました。その結果、日本初公開となったインドの「仏立像」をはじめ、イギリス、フランス、ドイツ、ウズベキスタン、さらに日本からも薬師寺の「慈恩大師像」など国宝8点、重要文化財25点を含む内外6カ国から、第一級の美術品約220点を集めることができたのでした。

  さて「三蔵」展は20世紀末に、「7世紀に無私の精神で仏教東伝をはじめ、シルクロード文化の交流に貢献した玄奘三蔵の足跡こそ、国の垣根を超えた地球市民の先駆者として、21世紀の現在へも大きな指針をもたらせるもの」との趣旨で企画したのでした。

 今回の「天竺」展について、奈良国立博物館の西山厚学芸部長は「平城遷都1300年を経た今年、内容のある特別企画展をと考えていました。そうした時期、薬師寺と藤田美術館から玄奘三蔵絵の一挙公開の話が持ち込まれ、かつて同じテーマの企画展を開催していた朝日新聞社の協力を得て、実現したのです」と話されていました。

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 玄奘三蔵は1300年以上も前に、国禁を犯して長安から天竺まで、自然の過酷さや異民族との言葉の壁を乗り越えて、仏典を持ち帰り、1335巻の経典の翻訳を成し遂げたのです。「般若心経」はその代表的なもので、日本で最も広く読まれ親しまれています。そして日本に根付いた仏教文化の発展に多大な貢献をしていることを忘れてはなりません。

 玄奘は偉大な宗教者であると同時に、地理学者であり、ある一面では探検家、さらに国際理解の実践者でもあったのです。いま国際的に強調されています共生とか寛容といった価値観も体現していた、いわばスーパーマンでした。

 私が取り組んだ「三蔵」展は、スーパーマンの玄奘三蔵をテーマに展覧会だけでなく学術調査や国際シンポジウムなど多面的に展開したのでした。このため展覧会の出品交渉や、玄奘の旅した道の追跡調査などで17回も中国やインド、中央アジアに出かけました。それ以降、シルクロードは私にとってのライフワークにも思えるのです。

  21世紀に入って、日本は東日本大震災と、それに続く原発事故によって、未曾有の国難にあえいでいます。こうした時代こそ、玄奘の足跡を振り返り、その生き方に次代への指針を探ってみてはと、痛感するのです。


■「三蔵」展の開会式テープカットでは文楽人形の孫悟空もひと役

(1999年、奈良県立美術館)


■「三蔵」展には天竺のインドからも文化財が出展された

■『西遊記』で孫悟空も行く手を阻まれた火焔山(中国・トルファン)

■天山山脈の中腹に降り立った朝日新聞社が派遣した学術調査のチャーター・ヘリ(前列右端が筆者)
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「天竺へ」展、玄奘三蔵のメッセージ