4月下旬、ウイリアム王子とケイトさんのご成婚に沸くイギリスへ行ってきました。往復の機内泊も含め10日間の旅でしたが、「大英帝国」の名残りを留めるロンドン以外の、別の表情を見せる美しいカントリーが広がる田園地域と世界遺産についてお伝えします。イングランド北部の湖水地方から中央部のコッツウォルズ地方、さらには南西部の古都バースなど多くの魅力に満ちた土地を訪ねました。すぐれた文学作品などを生んだ故郷でもあります。「ローマ人は都市文明をつくり、イギリス人が田園の文化をつくった」との格言を聞いたことがありますが、実際に歩いてみて納得したものでした。行程に沿って、印象に残った名所や史跡を紹介します。

■名作『嵐が丘』の舞台になったヒースの丘

■エミリーらが育った生家で、現在は2ブロンテ博物館
【名作『嵐が丘』の舞台、ハワース】

 私がエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読んだのは大学2年の頃でした。虐げられた孤児の長年にわたる復讐劇を描いた大まかなストーリーだけは頭の片隅に残っていました。映画の方は、帰国後に調べてみるとアメリカで2度、メキシコとフランス、日本でも翻案されていて、本国では1992年にやっと上映されていました。私は残念ながらいずれも見逃しています。
  エミリーの姉シャーロットも有名な『ジェイン・エア』を、妹も作品を遺す文学3姉妹が育ったという家がブロンテ博物館として公開されていました。内部は一家が住んでいた当時のように再現され、遺品や遺稿などが展示されていました。父親が牧師で、ゆかりの教会はタワー以外当時の建物ではありませんが、礼拝堂などのたたずまいがその頃の趣を連想させてくれます。
 博物館の裏手に回ると、ヒースの丘陵地が広がり尻尾の長い馬が放牧されていました。『嵐が丘』の題名のような、激しい雪と風が吹き荒れる荒野とは異なるものの、まさに小説で読んだ舞台に引き込まれる思いがしました。小1時間散策して郵便局を覗くと、王室ご成婚を祝う記念切手が売っていて、悲恋の物語の世界から一挙に現実に戻されたのでした。

■ピーター・ラビットが出迎えるポターの記念博物館

■湖水地方のウィンダミア湖クルーズ
【『ピーター・ラビット』と湖水地方】

 渓谷沿いに大小無数の湖が点在する風光明美な湖水地方は、国内有数のリゾート地となっています。ところが今や海外からも多くの観光客押しかけるようになったのにはそれなりの理由がありました。世界一有名になったウサギ『ピーターラビットのはなし』の故郷だからです。
 南の拠点ウィンダミアの湖畔ボウネスにベアトリクス・ポター女史の記念博物館があります。レストランで名物のサンドイッチがメインのアフタヌーンランチを食べ、しばしポターの世界に浸りました。絵本の印税などで農場や土地を買い求め、その財産をナショナル・トラストに寄付したのですから、功績は甚大です。
 土産物屋が建ち並ぶ通りを下るとウィンダミア湖クルーズの桟橋に出ました。多くの水鳥が生息し、白鳥が遊んでいます。アンブルサイドまで約30分間、船上から国立公園の自然美を堪能しました。この辺りでは、イギリスの誇る自然詩人ウィリアム・ワーズワースの故郷でもあります。私の好きな「虹」の一節です。  

   わが心は躍る 虹の空にかかるを見るとき わがいのちの初めにさなりき  
   われ、いま、大人にしてさなり われ老いたる時もさあれ

■英国国教会最大のリヴァプール大聖堂

■人気のビートルズ博物館
【大聖堂が聳えるビートルズ出身のリヴァプール】

 リヴァプールは19世紀、世界に先駆けて産業革命を進展させたイギリス第2の貿易港として栄えました。綿工業のマンチェスターとの間に1830年、世界最初の旅客鉄道が走り、この街の港から世界に輸出されたのでした。20世紀後半に入って沈滞しますが、英国国教会の最大の大聖堂が74年の歳月をかけ1978年に完成しています。あいにく礼拝中で内部を見ることができませんでした。
 しかしリヴァプールと言えば、世界を席巻したビートルズの出身地。大聖堂と道路を隔てた学校がなんと凶弾に倒れたジョン・レノンの母校でした。メンバーが闊歩した通りには、格好いい若者が語らっていました。港町にはビートルズ博物館やショップがあり、にぎわっていました。経済的には沈滞するも、美術館などの文化施設に恵まれ、オーケストラ活動、さらにはサッカーの名門チームもあり、ビートルズを生んだ街のエネルギーに期待が持てそうです。

■高さ最大37メートルのポントカサルテ水道橋

■川面に映り円くなった世界初の鉄橋
【世界遺産の二つの橋】

 リヴァプールから車で約1時間、2009年に世界遺産に登録されたポントカサルテの水道橋にたどり着きました。長さ307メートル、幅3.61メートル、高さは最大37メートルにも達するそうです。1805年に完成し、英国でもっとも長く、もっとも高い水道橋とのことです。
 水路の船着場には観光船が幾隻も停留していました。私は橋の下から全容を見るためディー川のほとりまで駆け降りました。約200年も前に「よくも架けられたものだな」と感嘆しました。何度も、その威容をカメラに収め、今度は息せき切って急坂を登り橋の上へ。橋の上にある水路は船を通すために使われていました。その横に人が渡れる狭い道があり手すりがついていました。橋の最も高い中ほどまで進み、引き返しました。
  ポントカサルテ水道橋から約1時間半、今度はバーミンガム郊外のアイアンブリッジへ。その名の通り鉄の橋は1779年、世界初の鉄橋として、3年余の歳月をかけ完成したのでした。30メートル、高さ12メートル、総重量400トンといいます。産業革命を象徴する橋として、1986年にイギリス初の世界遺産となりました。

 橋はその後、何度か補修されたものの、今も歩行者専用で使われています。欄干には繊細な細工が施され、デザインも優れています。橋を渡って脇の階段を通って、側道からセヴァーン川のほとりに降り立って、鉄橋を見上げてみました。なんと川面に橋が逆さに映り、ちょうど円形に見えるではありませんか。意外と知られていないスッポトのようで、ユニークな眺望を独り占めできました。

■連日のようにシェイクスピア劇を上演しているロイヤルシアター

■コッツウォルズのカントリーハウス
【シェイクスピア生家からコッツウォルズへ】

 なかなか覚えられないストラトフォード・アポン・エイヴォンという小さな町は、イギリスが世界に誇る劇作家ウィリアム・シェイクスピアの生まれた所で、生家などゆかりの建物が残っています。4月23日に生まれ、奇しくも同じ日に53歳で亡くなっていますが、ちょうどその日に訪ねたのでした。 四大悲劇の『マクベス』『オセロ』『リヤ王』『ハムレット』、そして喜劇の『真夏の夜の夢』など世界各地で上演されていますが、ご当地ではロイヤル・シェイクスピア・シアターでほぼ連日観劇出来るそうです。シアターでお土産にプログラムを戴き、美しいエイヴォン川沿いの散策を楽しみました。
 この日は午後、今回のツアーの目的でもあったコッツウォルズ地方の3つの村を巡回しました。渡航前、NHKの「世界ふれあい街歩き」の番組が2回に分け放送されていたのを見ていただけに、おおまかな雰囲気は感じ取っていました。のどかな自然の広がる丘陵地に、蜂蜜色のライムストーン(石灰岩)で出来た小さな家々が点在していました。
  一口にコッツウォルズと言っても、東京都とほぼ同じ広い地域に約100の集落が散在しているのです。その中でバイブリー、ボートン・オン・ザ・ウォーター、ブロードウェイの3ヵ所を訪ね歩きました。多くの家は草花で飾った庭を持ち、豊かな住環境なのです。
 イギリス人の理想は便利な都会より、田舎暮らしだといいます。このため週末の別荘に、あるいは2時間近くかけてロンドンまで通勤している者もいるそうです。カントリー・ライフの文化が息づいているのでしょう。ただどこも観光客であふれ、住人には迷惑だと思われました。

■三日月の形をイメージしたロイヤルクレセント

■神秘的な巨石群ストーンヘンジ
【古代の都市バースと謎の遺跡ストーンヘンジ】

 バス(風呂)の語源となったバースには、発掘された古代ローマン・バスがあります。先住ケルト人が崇めていた鉱泉を紀元後57年に侵入してきたローマ人が、癒しの場として整備したのです。何しろ現在もなお、聖なる泉と呼ばれる貯水池に約3000メートルの深さから温泉が湧き出ています。浴場跡や神殿跡を見学できますが、行列に並んで待たなければならず、街の探索に時間を割いたのでした。
 18世紀に入り、バースの街は社交と保養の一大センターとして建築家のジョン・ウッド親子二代にわたって設計されたのでした。父親がローマのコロシアムをイメージし、白色のバース石を使って、半円形の住宅群「ザ・サーカス」を建てたのに続き、息子が三日月の形をイメージした、湾曲した30個の集合住宅「ロイヤル・クレセント」を建てたのです。
  1987年に世界遺産に登録されたバース市街は、世界でも屈指の壮麗な集合住宅で、まさに地上の楽園といった趣です。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地区に、1ヵ所でもこうした整備都市の街並み空間が造れないかと思い浮かべたのでした。
 最後に取り上げるのが、ロンドンから約130キロ、なだらかな平原の中に突然姿を見せる神秘的な巨石群ストーンヘッジです。部分的には倒壊や消失していますが、二本の石柱に乗っかって横たわる巨石もあり、二重の円を描くように配置されています。約80個の巨石のうち、最大のものが約50トンもあるのだから驚きです。
 紀元前3100年頃から建設され、夏至の日には中心部の祭壇石と入り口に置かれている石を結ぶ直線上に、太陽が昇る巧妙な仕掛けもあるそうで、現代人にはミステリアスな空間です。以前は巨石の側まで近づけたのですが、1986年に世界遺産に登録されてからは、遠巻きに眺める見学ルートが定められています。各国の説明書があり、音声ガイドも無料で貸し出されていました。


 イギリスは歴史的にはローマをはじめデンマークやノルウェーのバイキングに侵攻されフランスのノルマン朝の領土となったこともあります。フランスと100年戦争やスペインの無敵艦隊との交戦、さらには清(中国)とのアヘン戦争などを勝利し、栄光の「大英帝国」を築いたイギリスは二次の世界大戦を経て、植民地も開放し香港も返還しました。しかしその輝かしい歴史と伝統が息づいています。ロンドンだけにとどまらず、田園地帯や地方に行っても豊かな文化を培っていることをあらためて実感しました。
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白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

「魅力あふれるイギリスの田園や世界遺産」