赤いレンガのえんとつは
                       この街のすべてを知っている
                       遥か明治に吹いた風 そしていま吹く風
                       変わりゆく街並や 家族の営み
                       出逢い 別れ 笑顔 涙
                       一人一人の人生を分かっているみたい
                       山の上の赤いレンガの 古い 古い えんとつ

 美しい詩に澄んだ歌声。クレア&香さん作詞・作曲のCDが生まれ、郷愁をそそります。「遠きにありて思ってきた」故郷へ、しばしば足を運ぶようになりました。そして、この歌のタイトル「赤いレンガの煙突」のある通称「えんとつ山」に、50数年ぶりに登ってきました。いま、故郷・新居浜は平成の大改造ともいうべく駅前の土地区画整理事業が進められています。と同時に、それ以上にそこに住む人々の心に故郷を見直す機運が高まっている事に心が動かされたのでした。

■現在の「えんとつ山」(伊藤保次さん提供)整備後

■3年前の「えんとつ山」(伊藤保次さん提供)整備前
久々登った「えんとつ山」の眺望

 まだ猛暑だった今夏の名残りのある10月初め、新居浜駅頭に降り立った私を出迎えてくれた知人に伴われ「えんとつ山」へ。ふもとには、こよなく「えんとつ山」を愛し、保護活動に取り組む4人の方たちが待っていました。登山口に「えんとつ山入り口」と達筆で書かれた標柱、その横に竹の杖も用意されています。そして登り坂の4ヵ所に置かれた木のベンチや進路の標識……。いずれもボランティアによる手づくりです。
中腹にある大山積神社の奥の宮に立ち寄りました。そこから眺める町は格別でした。それもそのはず、やはりボランティアの有志が枯れ木や不必要なヒノキなどを伐採し展望できる場所を整備したのでした。

 そして高さ20メートルの赤いレンガの煙突がそそり立つ高台へ。120年もの歳月ここに建っています。幼い頃、この煙突を目指しよく駆け上り遊んだ思い出がよぎります。ゆっくり登って約20分、いい汗をかきました。ここでも生い茂っていたムダ木を40本ほど伐採して整備し、すばらしい眺望です。

 途中、山歩きをするグループに会いました。土地の人々にとって格好のハイキングコースのように思えました。いま、「えんとつ山」への新たな山道の開設も有志の手で進められています。
 
 精力的にボランティア活動を続けている薦田陽之介さんは65歳で、住友化学に勤めていました。定年後、本格的に「えんとつ山」の整備に取り組んでいます。「故郷の資産を守ると同時に地域のお年寄りたちが山歩きを楽しみ、健康づくりにやくだっていただければと思います」と話しています。

■「えんとつ山」の入り口に設置された看板

■進路の標識も手づくり

■大山積神社の奥の宮からの眺望

■50数年ぶりに登った「えんとつ山」
産業遺産を舞台に伝承の歌声

 故郷の新居浜は、日本三大銅山で知られる別子銅山がありました。江戸時代から御用銅である棹銅を大量に産出、明治時代に西洋の最新技術を導入し、世界的な規模で発展したのです。その産業施設は別子山上から瀬戸内海に面する新居浜市域と四阪島まで広がっていました。

 1973年の閉山後の遺構は、現在も斜坑や通洞跡、精錬所や水力発電所、索道基地跡など広範囲に散在しています。レンガの煙突は、精錬事業のため1888年に稼動したものの亜硫酸ガスが付近の農作物に被害をもらせたため7年後に閉鎖されたのでした。

 産業遺産の拠点の一つ、東平(とうなる)地区は、標高750メートルの山中に、1916年から15年間、採鉱本部が置かれた所で、最盛期には約4000人が住み、山の町としてにぎわったのです。現在、山の上には貯鉱庫跡と索道基地が産業遺産として残され、まるで古代遺跡を思わせます。いまや「東洋のマチュピチュ」として新たな観光スポットにもなっています。

 この東平地区を舞台に、今年7月10日に長く伝承の「別子銅山せっとう節」と「大鉑の歌」の実演が初めて行われたのでした。当日は霧がかかって幻想的な雰囲気だったといいます。多くのカメラ愛好者が映像に収めたのでした。たまたま訪れていた観光客にとっては大喜びされたそうです。
 
  「アー別子銅山 金吹く音が 聞こえますぞえ立川へ チンカン好きなら 鉱夫の子になれ アーオカタイ オカタイ」。「別子銅山せっとう節」の歌声が響く中、作業着姿の女性達によって鉱石を運ぶ様子が演じられました。「大鉑の歌」は元鉱山に勤めていた人たち17人がそろいのネクタイ姿で合唱したのでした。  

 私はあいにく現地を訪ねる事が出来ませんでしたが、今回の帰郷時に、その時の模様を撮った写真展が1991年に端出場地区に開設された「マイントピア別子」で催されていました。「記憶の継承 地域の絆」をテーマにした写真コンテストには55点の応募があり、優秀作品18点に市長賞などが贈られました。写真展はその後も新居浜市や伊予銀行などのロビーなどで巡回展示されています。

■東平の産業遺産前での「別子銅山せっとう節」の実演(安孫子尚正さん提供)

■「大鉑の歌」ではそろいのネクタイ姿(安孫子尚正さん提供)

■「記憶の継承 地域の絆」をテーマに開かれた写真コンテスト

■クレア&香さんの音楽拠点「ホーブ」のピアノホール
まちの将来に物語を紡ごう

 冒頭に紹介した「赤いレンガの煙突」のクレア&香さんのチャリティーコンサートは10月2日に新居浜市文化センター大ホールで開かれました。クレア&香さんは二人とも愛媛県出身で、吉田香さんが詩の朗読を、クレアさんが歌と演奏を担当する独自のスタイル。人の心や命の大切さ、自然への感謝などメッセージ性のある詩と曲で、学校や公的団体主催のコンサートを中心に活躍しています。  

 今回のコンサートは一,二部構成で、金子みすヾの詩など13曲が披露され、二部の最初に「赤いレンガの煙突」が歌われました。歌の前に私が寄せた文章「えんとつ慕情――赤いレンガは故郷のランドマーク」も披露されたとのことでした、私はこの文の中で、故郷に住む者にとっても、「えんとつ山」はきっと心のよりどころとなる風景に違いない。私たちは、足元のささやかな幸せを忘れていないだろうか、と綴っております。   

 クレア&香さんは、「みらいPRANNING」(新谷敏昭代表)に所属しており、その音楽拠点「ホーブ」が今春オープンしたのでした。ピアノホールやスタジオを備える建物はエコに配慮したデンマーク様式です。「ホーブ」とはデンマーク語で希望という意味だそうです。  

 お披露目に招待されていましたが出席できませんでした。今回お訪ねすると、クレア&香さんが居て、歓待していただきました。10月2日に発売したばかりのアルバム「ゆかり」を聞くことが出来きました。父と娘の愛をテーマにした美しい曲で、このアルバムには「あなたとの日々を想う」も収められています。

 わずか2日間の帰郷の最後は、「えんとつ山倶楽部」のメンバー17人との懇親でした。リタイア後に「えんとつ山」の整備に取り組む面々をはじめ市会議員や医者、郵便局員らも駆けつけてくれました。初めてお会いする方もいましたが、故郷を愛し、故郷の再生を願う集いだけに、その絆を心に留めました。  

 各地で住民らによる、まちづくりの実践が聞かれるようになりました。わが故郷の活動には目を見張るものがあります。昨年の「山根大通りストリートミュージアム」のイベントは質の高さに驚きました。そのリーフレットには「合縁奇縁 これは、えんとつ山を見てきた先人物語である」と記されていました。  

 故郷に住んでいても、地域発展に尽くした先人たちの功績に触れる機会が少ないものです。住友別子銅山開発に貢献した広瀬宰平や銅山閉山後の別子の山を緑に復した伊庭貞剛、さらにはイラストレーターの草分け真鍋博、巨人軍のエース、さらに名監督となった藤田元司らの業績をパネル展示したり、「せっとう節」の実演、「キャンドルナイト爪楊枝アート」など、町の各所で面的に展開したのでした。  

 まちの将来は、そこの住む住民の夢や情熱によって芽生え、その積み重ねが活動のエネルギーになり、成熟したまちを形成していくのだと確信します。住民が自分の意思でまちづくりにかかわり、そうした人々が自然に集え、意見を出し合える場が出来、それを盛り上げるイベントがあれば、まちの将来に向けた物語が次々と紡がれていくのではないでしょうか。

■クレア&香さんと筆者

■「えんとつ山倶楽部」メンバーとの懇親会
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白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

「えんとつ」を絆に故郷再生