800を超し増え続ける世界遺産。かつてNHK番組で「ここに行きたい!ベスト30」の中で、2位に紹介されていたモン・サン・ミシェルに今年5月に行ってきました。ちなみに1位はマチュピチュ、以下ピラミッド、九寨溝、アンコール遺跡と続きます。この中で最後の訪問となったモン・サン・ミシェルは1979年にいち早く登録されています。現地近くに一泊し、昼、夕、朝と表情を変える姿を堪能しました。そして何より人間が築いた驚異の建造物を見て、その美しさと同時に先人たちの偉大さに感動を覚えました。海に浮かぶイメージのモン・サン・ミシェルは実際は陸続きになっていますが、今夏から再び元の姿に戻す取り組みも始まりました。

■平原に姿を現したモン・サン・ミシェル

■朝のモン・サン・ミシェル 羊の放牧も
平原の先に突如、城砦の姿

 フランス再訪のお目当ては、本やテレビで何度も見ているモン・サン・ミシェルを実際に目にすることでした。関西空港から飛行時間で約15時間、上海乗り継ぎもあって約20時間かけて早朝のパリ着。早速バスに乗り込み、南西方面88キロにあるシャトル大聖堂、さらにロワールに点在する古城のシャンボール城、シュノンソー城を観光しました。いずれも世界遺産で、それなりに見ごたえ十分でした。
 ローマ時代から長い歴史の街、トゥールに一泊して一路264キロ。モン・サン・ミシェルはノルマンディ地方の平原を走るバスの車窓に、突如まるで別世界の城砦のような姿を見せます。近づくにつれ、その威容に目を見はりますが、そこは海岸西端1キロ沖合いの小島にそびえ建つ修道院でした。
 島のある湾は潮の干満の差が約15メートルもあり、ヨーロッパでも有数の激しい所として知られています。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩で出来た小島は、かつて満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていたのでした。
 ガイドの説明だと、最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後とされ、引き潮によって沖合い18キロまで引いた潮が、今度は猛烈な速度で押し寄せてくるそうです。過去に多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたとのことで、「モン・サン・ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった、話していました。
  ガイドブックによると、1877年に地続きの道路が設けられ、潮の干満に関係なく島へ渡れるようになりました。しかし、これに伴い潮流をせき止めることとなり、100年間で2メートルもの砂が堆積してしまったそうです。この急速な陸地化が島の周囲で進行し、島の間際まで潮がくることはほとんどなくなり、海に浮かぶ城砦のような奇観が失われることになったのです。

■昼のモン・サン・ミシェル

■夕方のモン・サン・ミシェル

■仰ぎ見た修道院
城壁に囲まれた三層の修道院

 昼食後、バスは防波堤の道路を通り、修道院を目前にした駐車場へ。何台ものバスや車が押しかけていました。いよいよモン・サン・ミシェル観光です。堅牢な三つの門があります。入り口にイギリス製の大砲と、石の弾が残っていました。後述します有名な「百年戦争」の名残です。
 門をくぐると、一切車道はありません。昔も今も自分の足で歩くしかないのです。しかもグランド・リュ(大通り)とは名ばかりの細い路地で、修道院入り口まで急な上りが続いています。道の両側には土産物屋がずらり並んでいます。坂を上りはじめたところに、人気のプラーおばさんのクッキーのお店や、オムレツのレストランがあり観光客でにぎわっていました。
  迂回しながらいよいよ三層からなる修道院へ。90段の階段は高い壁に囲まれ、頭上には侵入者を狙い撃ちするため仕掛けられた橋が架かっていました。 ここまでの道筋は修道院のかけらもなく、砦そのものです。
 階段を上り直進しますとテラスに出ます。海抜80メートルの高さにあり、眼下に湾が見渡せ砂州と海へ川が蛇行しています。湾に浮かぶ島を実感し、大聖堂へ。高い 天井の内陣には装飾もありませんが、ゴシック様式の柱と差し込む光線は美しい空間でした。
 聖堂を出ると大理石の列柱回廊がぐるり二重に配置された空中庭園が現れます。柱の上部はアーチ状で調和がとれていて、回廊に囲まれた庭は緑の芝生と植え込みになっていました。かつて修道士たちの瞑想の場だとされた回廊と庭園は、現代人にとっては癒しの場であり、すばらしい空間です。
 さらに進み、広い食堂や葉飾りの円柱に囲まれた貴賓室などを見学し、礼拝堂を出た所に巨大な車輪がありました。ガイドによると、修道院の一部が牢獄として使われていた時代に囚人用の食料などを引き揚げるために作られたとのことでした。
 このほか修道士たちが写本などをした作業室や遊歩場、騎士の間など数多くの部屋があり、あっという間に2時間が過ぎていました。修道院を出て、入り口にジャンヌ・ダルクの像があるサンピエール教会ものぞいてみました。小さな教会だけど、内部の祭壇も整えられ、落ち着いた雰囲気でした。
 帰りはグランド・リュを逸れ、城壁の石畳を下りました。途中、足を止め修道院の尖塔を仰ぎ見ると、長い剣を振りかざすミカエル像が輝いています。金メッキを施した高さ約4メートル銅像で、ガイドから聞いた話ではヘリコプターに吊るし取り付けたとのことでした。  
 私が宿泊したのは島から1キロほど離れたホテルでした。3ユーローで自転車を借りることができましたが、日没までに返すことが条件でした。というのも数年前、島へ向かう道路で日本人観光客が車にはねられ死亡する事故があったためです。とにかくトラックや自家用車が速度制限を無視したスピードで走り、車道を走る自転車は危険です。日没前に引き返すことになり、残念ながらライトアップは見ることが出来ませんでした。歩いて島へ行く観光客には蛍光チョッキ着用が義務付けられていました。

■大理石の柱と緑の美しい空中庭園

■アーチ形の天井のある騎士の間

■修道院内にあるミカエル像

■囚人用の食料などを引き揚げた車輪

■高台から見下ろした城壁と砂州
海に浮かぶ姿へ復元計画

 帰国後、現地で求めたガイドブックで、あらためてモン・サン・ミシェルの歴史をひもときました。708年に司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受け、ここに礼拝堂を作ったのが始まりとのこと。966年にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建てた後、増改築を重ねて13世紀にほぼ現在のような形になったそうです。そして中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきたのでした。
 その後、14世紀の「百年戦争」の間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果たしたのでした。18世紀末のフランス革命時には修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用された時期もありましたが、1865年に再び修道院として復元されたとのことです。
 文豪ヴィクトル・ユゴーをして、「海のピラミッド」と讃えられたモン・サン・ミシェルは、修道院から要塞、一時は監獄として利用されるなど、歴史の波にもまれ、様々な時代に建築を積み上げてきたのでした。神に祈りを捧げながら生きてきた中世の人々は、スペインのサンティアゴ・コンポステーラに至る主要な巡礼路として崇め、今に伝承しているのです。
 巡礼者や観光客の増加から、19世紀には島と陸との間に堤防を造成します。道路と鉄道も敷かれ陸続きになりましたが、鉄道は後に撤去しています。そして世界遺産に登録されてからは、観光客が飛躍的に増加したのはうなずけます。
 一方、進む砂州化に歯止めをかけるため、堤防道路を取り壊し、橋を渡して陸側からシャトルで修道院まで移動できるようにする環境整備の国家事業が始まったのです。当初この工事は2012年に終了する予定でしたが、2015年までかかる見通しであることが発表されました。
 この工事は単に砂を取り除くだけでなく、陸とモン・サン・ミッシェルを結ぶシャトル電車の設置や、新たな駐車場の建設などかなり大掛かりなもの。この工事が完了した暁には、年間150日間にわたって、モン・サン・ミッシェルは「孤立した島」となるそうです。
 シャトルだと、当然これまでのように大量輸送というわけにもいかないと思われます。世界遺産は人類共有の宝として保存し次世代に伝えていくべきものです。観光化に逆行して、かつての「島」に戻すプロジェクトの英断には拍手を送りたいと思います。いつの日か、海に浮かぶモン・サン・ミシェルを再訪したいものです。

■駐車場にはバスと乗用車の列

■狭い路地にあふれる観光客
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白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

「モン・サン・ミシェル紀行」