白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

 新居浜市船木在住の西山慶尚さんが、9月に『知覧 六月三日の邂逅』(文芸社)を上梓されました。その序文を書かれたのが、今年2月に急逝された作家の立松和平さんです。その中で「書くということは、過去の命の軌跡をたどることであり、その軌跡を未来へとつないでいくことである」と記し「書くことは、心を浄化する」と結んでいます。古希を迎えた西山さんにとって、記念すべき感慨深い著作となったようです。戦争の呪縛をひきずりながらの人生模様の作品など9篇か盛り込まれています。読書の秋、故郷の作家が書いた力作は絶好の読み物です。

  西山さんは、私の高校時代の同級生のご主人です。東京教育大学理学部を卒業し、愛媛県内の高等学校の理科の先生を定年まで勤められました。定年退職の2年前の1999年から文芸同人誌『海峡』に参加し、精力的に作品を発表し続けてこられました。

 奥さんから「これまでの作品をまとめて本にしたい」との意向が伝えられ、「尊敬する作家の立松和平さんに序文をお願いしていただけないでしょうか」との依頼を受けました。私は、立松さんにとって時間を必要とする案件だけに一旦はお断りしたのですが、その熱意にほだされたのでした。

 私も拙著『夢をつむぐ人々』(東方出版)の序文を立松さんにお願いしたことがありました。「本書はたくさんのよき人と会った白鳥正夫さんからの、私たちへのおすそわけだ」との過分な言葉をいただきました。誠実な人柄の立松さんだけに、引き受けていただけるのではと、かすかな望みを抱いていたからです。

 昨年9月、新居浜文化協会60周年の催しに、立松さんをお招きした際、お願いしたのでした。立松さんは、依頼を受けて4日後に、序文「命の軌跡-西山慶尚小論」を書かれました。「帰路の車中と機中で、御作を一気に読み、感銘を受けました。そのため一気に文章を書き上げました」との手紙が添えられていたのでした。

 今回、西山さんを立松さんに紹介した私にとって、こんなうれしいことはありません。「西山さんはすさまじいといってよい勢いで作品をかいてきた。その軌跡をたどると、何かを取り戻そうとしているかのような性急さが私には見える」と、印象を捉えています。

 西山さんの短編は出版前に何篇かは読んでいましたが、理科系の先生が突如、文学へ傾注されたにしては、読みやすく達意の文章に驚かされました。標題となった『知覧 六月三日の邂逅』」は出色でした。

 知覧とは、薩摩半島の南部に位置する町で、戦時中に特攻隊の基地になった町です。その地を訪ねた主人公は、かつては特攻隊の兵士であったが、出撃したもののエンジンの故障と偽って生還してきた男と出会い、その男の消息を追う物語です。重いテーマでありながら、けれんみのない文体で、読んでいて、しみじみと胸に迫ってくるものがありました。

  『心の仮面』は、示唆に富む作品でした。今回の設定はボケのふりをしていていた人物を実際にボケていたと社会は想定しているものの、その姿を見てきた主人公は最後までボケという心の仮面をかぶっていたのではという確信で終える巧みな構成で、定年後の切実な人生模様の一面を、心理劇を見るような感じで描ききっていました。

  いずれの作品も、その舞台が四国であり、高校の教員を定年退職した主人公の家庭環境や、そして奥さんのことなど、西山さんの実直な生き様とダブらせながら興味深く読ませていただいたのでした。どの作品も背伸びせず日常生活と人生の機微を素直に描いていて、小説の面白さとメッセージ性がありました。

 新刊の表紙は奥さんで水墨画家の西山悦兆さんの作品です。西山さんは、あとがきに次のように自分の書き位置を明確にしています。  
>topページ
    
■昨年9月、新居浜訪問時に瑞応寺を見学した立松和平さん(中央)
書くことは心を浄化する

故立松和平さんが序文を寄せた
新居浜市在住の西山さんの新刊
    
■西山さんご夫妻から依頼を受け、歓談する立松和平さん
(昨年9月、リーガーロイヤルホテル新居浜で)
 私が戦争のことを書く理由のひとつはここにありました。極めて断片的ではありますが、あの戦争のことを記憶にとどめている者の一人として、それを書き記すのは、私のささやかな務めでもあると思ったのです。(中略)  あの時代の人々と山里。それは私の心の風景であり、作品の中でも何度となく登場しています。しかし、それは必ずしも単なる郷愁のせいだけではなく、あの時代の人々と山里の風景の中に、私は現代の私たちが失っているものを見る思いがするからです。
 

 最後に、立松さんの序文を再び抜粋します。「書くということは、過去の命の軌跡をたどることであり、その軌跡を未来へとつないでいくことである」。そして「書くことは、心を浄化する。生きるためには、書かないでいられないのである。書くことによって、命の軌跡はまだまだ先に伸びていく」と書き込んでおられます。しかし、この文章を書かれて約5ヵ月後に立松さんは他界されました。なんとも皮肉なことではありますが、書くものへの遺言のようなメッセージでもあります。

 『知覧 六月三日の邂逅』(文芸社)は四六判上製・338ページ。定価(本体1600円+税)。
             お問合せ先は文芸社販売担当で03-5369-2299