■青山葬儀場前の案内    ■供花の名札をずらり掲示
    
■満席の参列席       ■ご子息の林心平さんの謝辞
■孫のように可愛がってもらったという参列者も
    
■斎場の外で、ご焼香を待つ一般参列者

白鳥正夫の
えんとつ山
ぶんか考

 2月8日に多臓器不全で亡くなった立松和平(本名=横松和夫)さんを偲ぶ会が3月27日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、生前交流のあった幅広い関係者や作家仲間も多数参列しました。私も駆けつけ、62歳で急逝した立松さんの功績や人柄を偲び、別れを惜しみました。  

 学生時代から親交のあった日蓮宗法昌寺住職の福島泰樹さんが大導師となり、読経を唱えた後、「時代と人間の闇を見据えた誠実な作家だった」と功績を称えました。 続いて偲ぶ会実行委員会代表で作家の北方謙三さんが弔辞を読み上げました。「君の残した作品は時代の中でどう読み継がれていくのか。それを見届けるのが僕の友人としての責任だろう」と述べ、「別れの言葉は言わない。君が残した作品があるからだ。僕にとっては、いつだって作品の中で君は生きている」と遺影に向かって語りかけました。

 さらに作家の三田誠広、辻井喬、映画監督の高橋伴明さんらが別れの言葉を述べました。 昨年6月、知床でお会いした知布泊村長の佐野博さんが「知床に立松さんが根付かせた例祭とお堂がある限り、後世に繋いでいきます」と、涙ながらに語っていたのが印象的でした。  
 
 弔辞の後、鳩山由紀夫首相や五木寛之さんらの弔電が披露され、友人の宗次郎さんがオカリナ演奏を捧げました。遺族を代表して長男の林心平さんが「300冊あまりの著作を残し、これからも40冊近くの本を出さなければなりません。今後も立松の作品をよろしくお願いします」と謝辞を述べられました。

 祭壇には白ユリで覆われた立松さんの遺影が飾られていました。いつに無くネクタイ姿の立松さんの笑顔が弾けていて、逝去されたという実感がわいてきませんでした。葬儀所は時間と共に長蛇の列ができ、ファンら一般参列者を含め約1000人がご焼香し、ご冥福を祈りました。  

 斎場玄関前の廊下には100冊近くの立松さんの著書が並べられていました。私も書棚に30数冊を所蔵していますが、いかに多くの業績を遺してきたかを再認識した次第です。今年1月からスタートした『立松和平全小説』全30巻(勉誠出版)には、これまで40年以上にわたる75冊(400字詰め原稿にして約4万枚)の単行本を年代順に網羅して編集したといいます。  

 立松さんと言えば、テレビ朝日のニューステーション番組で時折り「心と感動の旅」を現地レポートしていたのが印象に残っています。あの独特の語り口調が忘れられません。しかし何度か公私を共にさせていただいた場では、しみじみと生きているようで、壮絶に生きてきた姿を垣間見ることとなりました。  

 立松さんは死んだけれど、作品を通して私たちの心の中に生き続けていくことを深く刻み、斎場を後にしました。
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■斎場玄関前の廊下に並べられた著作
「壮絶に生き、書き続けた立松和平さん」偲ぶ会に参列して
    
■立松和平さんを偲ぶ会の祭壇